指宿海軍航空基地跡・慰霊碑公園

車に乗って白水館を後にする。最初の目的地は、すぐ北にある指宿海軍航空基地跡・慰霊碑公園である。魚見岳(215m)が荒々しい断崖を見せ、日本離れした景色だ。妻が「このあたりの人がハワイに行っても、あまり感動しないでしょうねえ。」と言う。

間もなく、慰霊碑公園に到着する。ここは、1944年1月1日に「本土」最南端の航空基地として設置された指宿海軍航空基地の跡地である。零式水偵、九四式水偵、零式観測機、二式飛行艇等の水上航空機の基地として運用されていたが、沖縄戦が始まると、これらの水上航空機を用いた特別攻撃が始まり、当基地から出撃した82名の搭乗員が還らぬ人となった。防空壕のあった丘の上に慰霊碑が立っていた。これも彫刻家・中村晋也の手によるものだ。「かもめの碑」と名づけられ、3人の特攻隊員の姿が浮き彫りにされている。天を仰ぐ二人、俯く一人、いずれも複雑な表情だ。この基地からは、彼らを見送る人もなかったという。

慰霊碑の横には、1978年6月3日に枕崎市の沖合400mの海底から引揚げられたという、航空機のプロペラが展示してあった。機種はわからない。慰霊碑の下の防空壕の中を覗くと、この基地で使われていた水上航空機の一部と思われる構造材が朽ちていた。海岸へ降りてみると、特攻基地があったとは思えない、静かで穏やかな海だった。