Wilm2007-01-14

晴れ

年明けから、東京国立近代美術館で、恒例の横山大観「生々流転」の公開が始まっている。今年は、全長40mを一挙展示するというので、出かけることにした。妻は今日も留守番で、卒論との格闘だ。13時頃、娘たちと車で出かける。調布ICから中央高速に乗る。首都高4号線の渋滞もなく、代官町まで順調だった。しかし、北の丸公園の駐車場は、待ち行列ができていたので、一ツ橋のパーキングメータに駐車する。

「生々流転」

東京国立近代美術館に入館後、真っ先に今日の目的である「生々流転」を1階特設ギャラリーに観に行く。横山大観の「観音」(1912)、「満ち来る朝潮」(1943)、「南溟の夜」(1944)、「或る日の太平洋」(1952)の展示に続いて、長さ40mに及ぶ「生々流転」(1923:重要文化財)がガラスケースの中に展開されている(写真*1)。大河が源流から湧き出し、大洋に流れ出て、龍に姿を変えて昇天するまでの様子を描いた水墨画だ。多彩な技法を駆使し、とても水墨画とは思えない雄弁さである。長女がいみじくも「山の空気が感じられるようだね。」と言う。日本画のよさを初めて認識したようだ。空いていたので、2回、端から端までじっくり鑑賞することができた。近代日本美術のマスターピースの一つと言っていいだろう。

*1:受付で館内撮影許可を得た。

東京国立近代美術館所蔵作品展

「生々流転」に続いて、平成18年度第4回所蔵作品展を観る。4階に上がると、エレベータホールで出迎えてくれたのは、新海竹太郎「ゆあみ」(1907)だ。私の好きな彫刻なのだが、裸婦像を眺めると、娘たちが胡散臭げに私を見るのはやめてもらいたいものだ。

続いて、荻原守衛「文覚」(1908)・「女」(1910)、高村光太郎「手」(1918)、中原悌二郎「若きカフカス人」(1919)などの近代日本彫刻を代表する作品が居並ぶ。荻原守衛の代表作の一つである「女」も好きな作品なのだが、娘たちの冷たい視線を感じる。ええい、鑑賞の邪魔だ。

絵画・版画では、岸田劉生「自画像」(1913)・「B.L.の肖像」(1913)・「五福祥集*1」(1928)、中村彝「エロシェンコ氏の像」(1920:重要文化財)、坂本繁二郎「水より上がる馬」(1937)、速見御舟「夜梅」(1930)*2棟方志功「ニ菩薩釈迦十大弟子」(1940)、川端龍子金閣炎上」(1950)、東山魁夷「たにま」(1953)・「白夜光」(1965)等々の傑作が次々と現れる。「ニ菩薩釈迦十大弟子」「金閣炎上」は、昨年8月に鹿児島の中村晋也美術館で観た「釈迦十大弟子」(2003)や、つい先日拝観したばかりの金閣寺などの旅の想い出と重なった。

米国から「永久貸与」中の戦争記録画では、茨木衫風「潜水艦の出撃」(1942)と田上隼雄「古賀提督像」(1944)が展示されていた、前者は、南十字星綺煌く南太平洋の怒涛の中を進む帝国海軍潜水艦3隻を描いたもので、映画「Uボート」の嵐の場面を想起させる迫力だ。

近代日本美術を十分堪能した後、車で「グランドアーク半蔵門」に移動し、遅い昼食にする。

*1:奇怪な人物が壺に蝙蝠を呼び寄せる不思議な絵だ。「福」は「蝠」のことで、中国画のモチーフの一つのようだが、どういう故事来歴なのかはよくわからない。

*2:新収蔵品の初公開とのことだ。ネガのような黒い月が印象的な絵だ。

伝統芸能情報館

昼食をとった「グランドアーク半蔵門」の目と鼻の先が国立劇場なので、伝統芸能情報館に寄っていくことにする。ちょうど企画展「人形浄瑠璃から歌舞伎へ」をやっており、人形浄瑠璃の発達の歴史を辿りながら、三大名作「菅原伝授手習鑑」「仮名手本忠臣蔵」「義経千本桜」を題材に、文楽と歌舞伎を比較していた。一人遣い時代の人形(お初・徳兵衛:和生拵え)が復元展示されており、興味深かった。次女は目敏く「あ、お初と徳兵衛だ。」と気づいた。先日、お参りした曽根崎の露天神社が印象に残っていたようだ。

続いて、国立劇場本館3階の資料展示室で「開場40周年記念・ポスター展」を観る。歌舞伎を中心に、国立劇場開場以来のポスターを展示したものだ。1997年の文楽公演のポスターを見て、次女がまたも目敏く「これ玉女さんじゃない?」と指摘する。10年前の吉田玉女を見分けられる小学生も珍しいだろう。

17時頃、車を出して、帰途につく。帰りも首都高4号線・中央高速ともに順調で、40分ほどで帰宅できた。