大阪フィルハーモニー交響楽団第46回東京定期演奏会

Wilm2009-02-17

大フィルの東京定期演奏会を聴きに行ってきました。音楽監督大植英次が大阪でいい仕事をしているように見受けられ、前から気になっていたのです。大フィルを聴くのは、亡くなる5ヶ月前の朝比奈隆の指揮によるブルックナーの第8交響曲の演奏会*1以来6年半ぶりです。

開演10分前に会場のサントリーホールに到着し、当日券を買いました。私の前に並んだ人でB席が売り切れたので、S席にしました。1階16列21番という、音響の悪いサントリーホール1階席では比較的ましな席です。会場には、華道家やピアニストなど有名人の姿をちらほら見かけました。


ロマンティックなモーツァルト
プログラム1曲目は、モーツァルトのピアノ協奏曲第9番。独奏はフランス人のジャン=フレデリック・ヌーブルジェ。初めて聴くピアニストです。ピアノも管弦楽もレガート気味に演奏し、ロマンティックな演奏です。昨今持て囃されているぱきぱきした演奏法からすると、保守反動とも言えるほどですが、私は嫌いではありません。しかし、ショパンのように響くカデンツァや第2楽章は、やはり様式的な違和感を覚えます。第3楽章も、もう少し粒だった音を期待したいところです。私にとって、この曲の規範的演奏は、ピリスとグシュルバウアーによる録音です。


湖面に煌めく月の光
カーテンコールの後、アンコールが演奏されました。ヌーブルジェがメモを見ながら「皆さんのためにドビュッシーの《月の光》を演奏します。」と日本語で前口上を述べた後、ピアノに向かいました。まるで、夜の湖面にきらきら輝く月の光のような演奏でした。この繊細な音色感はさすがフランス人の独擅場でしょう。モーツァルトよりもはるかに感銘を受けたというのも皮肉なものです。


弛緩し切ったマーラー
休憩後、メインのマーラー第5交響曲です。モーツァルトのとき、ティンパニが上手の舞台裾に置いてあったので不思議に思ったのですが、オーケストラが舞台に乗ってみて理由がわかりました。バス8本を管楽器の背後に並べた本格的な対向配置なのです。ちょっと嫌な予感がします。

指揮者の大植英次登場。勿体ぶった態度に、「だったら、それに見合った演奏を聴かせてもらおうじゃないの。」と最初から心理的なハードルが上がります。冒頭のトランペット独奏から、おやと思うほどテンポの遅い演奏です。この曲を遅いテンポで演奏するのは嫌いではありません。しかし、低音が拡散するサントリーホールの音響特性に加え、対向配置でチェロとバスが離れているため、低弦がマスで響かず、重々しさが表現できていません。

展開部(練習番号7)に入ってから、弦が出遅れてアンサンブルが大きく乱れました。金管群が必死でテンポを落としても弦が追いつけず、10数小節にわたってアンサンブルが混乱したまま演奏が続き、練習番号8の手前のトランペット独奏でようやく辻褄が合いました。アマチュアならいざ知らず、プロのオーケストラでは珍しい事故と言えます。*2井上道義なら、やり直したでしょう。*3これで、一気に心証形成が悪化しました。

この事故の責任は、専ら指揮にあると言ってよいと思います。大植の指揮は、大振りで表情をつけるのみで、楽器の入りをほとんど指示しないばかりか、拍節も刻みません。よほど練習したのであれば別ですが、これだけ遅いテンポでオーケストラに的確な指示を出さないのは酷でしょう。この後、コンサートマスター以下、弦5部の首席・次席奏者は、指揮者をまったく見ていませんでした。指揮が頼りにならないとすれば、譜面と首っ引きでやるしかなかったのでしょう。

第2楽章のチェロ合奏による嘆きの歌(第2主題)は、全曲中の白眉の箇所なのですが、ただ遅いだけで、まるで情感がこもっていません。コーダもマルク・ヴィニャル言うところの"Durchbruch"が炸裂しません。

第3楽章は、レントラーはおろか、舞曲にすらなってないので、この楽章の愉悦感が漂ってきません。この4分の3拍子が舞曲でないというなら、別の解釈を提示すべきでしょうが、何をやっているのかわからなくなるほど、弛緩し切った音楽がだらだら続くのみです。第3楽章が終了した時点ですでに演奏開始から約1時間が経過しています。

この調子だと第4楽章は15分はかかるだろうと思って計時してみたら、15分20秒でした。中間部Fliessenderになってからもテンポは速くならず、アダージョよりも遅いラルゴのようなテンポのままです。この楽章はアダージェットなのですから、10分以内の快速テンポの方が感動的だと思っている私からすると、耐え難い遅さです。第4楽章が終わった時点で約70分以上が経過し、ふつうの速度の演奏であれば、すでに全曲が終わりカーテンコールをやっている頃です。

「もう十分わかったから、少しまともなテンポでやってくれない?」という気分のまま終楽章へ。指揮者は、テレビ収録を意識してか、いつもこうなのか、ときどき客席の方へ感極まった顔を見せます。気分はどんどん白け、ようやく集結部を迎えました。こんな演奏に拍手する聴衆がいるだろうかと、ちょっと興味深かったのですが、そこは優しい日本の聴衆。盛大な拍手をしていました。私は、まったく拍手をする気になれず、いい演奏をした奏者(トランペット、ホルン等)だけに拍手を送りました。

全曲で約90分。常識的なテンポであれば約70分の曲ですから、30%近くも長いことになります。私は、実演はもちろん、録音でもこんなに長時間の第5を聴いたことがありません。テンポが遅いマーラーということで言えば、クレンペラーの第7が挙げられますが、あの録音を一貫する緊張感は、今日の演奏には微塵も感じられませんでした。これは、大フィルの合奏力の問題というよりは、楽員の共感を得ていなかったせいなのではないかと思います。カーテンコールの最中、得意満面の指揮者とは対照的に、楽員のみなさんは不本意そうな顔をしていました。*4プロでも、快心の演奏をした後は、晴れ晴れとした表情をしているものです。


蛇足のアンコール
ようやく終わるか、と思ったら、アンコールが始まりました。もう毒を喰らわば皿まで、の心境です。知らない曲*5なので、マーラーほどの違和感は覚えませんでしたが、演奏が終わっても、大植はなかなか指揮棒を下ろさず、聴衆に沈黙を要求します。拍手するタイミングは聴衆が決めるものであって、指揮者に指図される言われはありません。聴衆を沈黙させたければ、演奏の力でやってもらいたいものです。最後の最後まで不快な演奏会でした。会場を出る頃、時計の針は22時近くを指していました。2月19・20日に大阪定期公演を同一時間・同一演目でやるようですが、夜の早い大阪で許容されるのか、ひとごとながら心配になります。

この演奏会に7,000円を払ったのは腹立たしくもありますが、私にとって、この指揮者は今後フォロー不要、という情報を得たのが唯一最大の収穫でした。


バーンスタイン最後の日本公演
実は、私が大植英次の指揮を聴くのは、今日が初めてではありません。1990年7月12日、ロンドン交響楽団の来日公演で、体調を崩したレナード・バーンスタインに代わって、2曲目の「ウェストサイド物語」より「シンフォニック・ダンス」を指揮したのが大植だったのです。恩師の代役を立派に努めた若手指揮者、という以上の印象は残っていません。それよりも、バーンスタイン自身が指揮したメインのベートーヴェン第7交響曲の悲惨な演奏が忘れられません。テンポは崩壊寸前まで遅く、今日のマーラー演奏はそれを彷彿とさせるものでした。バーンスタインは、その後の日本公演の演奏会をすべてキャンセルして帰国し、わずか3ヶ月後の10月14日に亡くなります。奇しくも、日本での最後の演奏会に立ち会うことになったわけです。その5年前、イスラエル・フィル来日公演*6で聴いたマーラー第9交響曲を最後にしておけば、私のバーンスタインの印象ももっと違ったものになったと思うと、今でもちょっと残念です。

*1:2001年7月23日。サントリーホール

*2:今日の公演は、テレビ収録をしていたのですが、この部分を撮り直すのかどうか、興味深いところです。

*3:時は1999年9月30日。新日本フィルとのマーラー・ツィクルス第1回のメイン、第1交響曲の序奏部で、客席から鳴った携帯電話の着信音に端を発してアンサンブルが乱れたため、井上道義は、わざと指揮台から転げ落ちたふりをして演奏を中断し、最初からやり直しました。私は、自分が道化になって演奏の品位を保とうとした彼の男気に惚れ直したものです。

*4:「こんな指揮につきおうとれんわ。」だったのか、「1時間も残業やで。堪忍してや。」だったのか。たぶん両方しょう。

*5:ロビーの貼紙によると、チャイコフスキー組曲第4番から第3楽章「祈り」だそうです。

*6:1985年9月5日。名古屋市民会館