九月公演第二部

「奥州安達原」
第二部で妻と長女が交替です。第二部は、大作「奥州安達原」から三段目「朱雀堤」「環の宮明御殿」、四段目「道行千里の岩田帯」「一つ家」「谷底」の半通しです。昔は、大序からの通し狂言も珍しくなかったようですが、最近は「朱雀堤」「環の宮明御殿」だけの見取りが多く、今回は、1990年11月の国立文楽劇場の公演以来18年ぶりの半通しです。その意味では、貴重な機会なのですが、正直、「安達原」はあまり好きな演目ではありません。

「朱雀堤の段」。床は9人の太夫がずらりと並ぶものの、あまり印象に残る語りはありませんでした。人形遣いは頭巾を被っていますし、情景は冬の京七条朱雀堤ですし、陰鬱で侘しい雰囲気です。

「環の宮明御殿の段」。中の咲甫大夫、次の文字久大夫、前の千歳大夫、後の英大夫と、次々と聴き応えのある浄瑠璃でした。三味線は、富助の音色が光ります。人形では、何と言っても、禎仗の玉也と浜夕の文雀が渋い味わいを見せます。玉也の鬼一と文雀の婆は、当代一と言ってよいでしょう。袖萩の紋寿も、哀感漂う好演でした。

「道行千里の岩田帯」。清十郎の生駒之助と和生の恋絹の道行きです。恋絹の悲劇的な運命を予告するような、暗い道行です。

「一つ家の段」。中の呂勢大夫・清治、奥の文字久大夫*1・燕三いずれも、鬼気迫る浄瑠璃を聴かせてくれました。老女を遣うのが勘十郎。この人の芸の幅の広さを実感します。しかし、老女が(実は娘の)妊婦の恋絹を惨殺し、胎児の生血を奪うという猟奇的な筋書きにはついていきかねるところです。娘と孫を手にかけたことを悟って谷底に身を投げても、あまり同情できず、「当然の報いだ。」くらいにしか思えません。

「谷底の段」。「絵本太功記」の「大詰」と同様、慌しく話をまとめにかかっている感があります。貞任(玉女)が母・老女の死を嘆く幕切れも今一つ感興が乗らないままでした。

ともかく疲れました。半通しとは言え、第一部の後に続けて、この重量級の演目を観たのは無謀としか言いようがありません。9時間近く座り続け、まことに体によくないことでした。

義太夫

*1:怪我休演の咲大夫の代演。