「靖国 YASUKUNI」

Wilm2008-05-14

物議を醸している映画「靖国 YASUKUNI*1を観てきました。報道やネット上の情報でおおよその内容は把握できたのですが、批判するにしても称揚するにしても、観ないことには始まりません。時間と金の無駄遣いになることを覚悟のうえで、「シネカノン有楽町1丁目」のレイトショウに出かけました。257席*2の館内は、ほぼ満席です。

商業映画として不適切
この映画には、主たる撮影場所である靖國神社の許可を得ずに撮影した場面が含まれています。靖國神社は、製作会社に対し、撮影許可手続*3を遵守していない部分について削除の要求をしており、その通知書の写しは靖國神社のホームページに掲載されています。別に靖國神社に限らず、他人の私有地内で商業映画を撮影しようと思えば、その所有者の許可を得るのは当然です。権利者に無許可・無許諾で撮影された映像が1コマでも含まれていたら、商業映画としては不適切と言わざるを得ません。世界にはそうでない国もあるかもしれませんが、法治国家である我が国では容認されない違法行為です。*4

同様の問題は、作中で繰り返し登場する刀匠*5にもあるようです。報道によれば、製作者は、別の取材目的を告げて撮影を行い、刀匠に事後承認を求めたということです。しかし、本件については、間接情報ばかりで、刀匠ご本人のコメントがないので、深入りするのは避けます。唯一の救いは、寡黙な刀匠が作中で不用意な言質を与えなかったことでしょう。

ドキュメンタリー映画を標榜する資格なし
本作の開始後間もなく、「靖国神社のご神体は刀である」旨の文章が表示されます。しかし、上述の製作会社宛の靖國神社の通知書にある通り、靖國神社御神体は、神剣と神鏡です。製作者は、このような基本的な事実を確認する意思と能力がないか、または事実を知りながら歪曲したかのいずれか、ということになりますが、いずれにしても、この一事だけでドキュメンタリー映画を標榜する資格はありません。

さらに、2005年8月15日とおぼしき日*6靖國神社境内の模様を漫然と写した映像からは、ほとんど自己主張らしいものは窺えないのに対し、終盤近くなって俄かに、戦前・戦中の記録フィルム・写真を恣意的に選択・配置し、「日本刀が虐殺の道具として用いられ、その日本刀をご神体とする靖国神社侵略戦争の後ろ盾となっていた」といった趣旨のメッセージを発し始めます。自ら取材した記録映像で物を語ろうとしない製作態度を私は評価しません。

映画としても稚拙
映像の大部分は、手持ちのカムコーダ*7で撮影したらしく、全編にわたって手ぶれと急激なパンが連続し、乗り物酔いのような気持ち悪さを感じました。編集も、長回しのビデオテープをただつないだだけ、といった感じで、上述の記録フィルム・写真の引用が始まるまでは、およそ起承転結を感じさせませんでした。

内容の価値評価はノーコメント
本作は、靖國神社に対して悪意のある内容になっていますが、その価値評価は控えます。複雑な歴史的背景をもつこの神社に、さまざまな歴史観・世界観が適用されること自体は、思想信条の問題なので、他人がとやかく言うことではないでしょう。

私にとって、この映画の唯一の収穫は、BGMに用いられていたグレツキの第3交響曲でした。「悲しみのシンフォニー」という情緒的な副題で話題になった曲なので、これまで敬遠していたのですが、なかなかよさそうな曲です。CDを買ってみることにしましょう。

*1:映画のタイトル画面では「靖国神社 YASUKUNI」と表記されていました。このあたりの杜撰さも理解できないところです。

*2:最前列の席はロープを張って使用していませんでした。

*3:靖國神社のホームページに明記されています。

*4:そういう映画に料金を払ったというのは、海賊盤CDを買ってしまったような後味の悪さがあります。今日は水曜日で1,000円だったのが、せめてもの救いです。

*5:ご本人が本作への出演を承認していない可能性もあるので、実名を記すのを控えます。

*6:撮影日時の表示が一切ないことも、記録映画性を失わせています。

*7:パンフレットによれば、ソニーDSR-PD150を使用したようです。