「心中宵庚申」 義理と愛情の板挟み

近松門左衛門晩年の作で、彼の最後の世話物です。姑への義理と妻への愛情の板挟みになり、行き場のなくなった半兵衛とお千代の夫婦が心中するという物語です。近松らしい、味わい深い浄瑠璃です。

上田村の段
冒頭から住大夫の登場です。しかし、何となく調子が悪そうで、次の切場を嶋大夫に譲ったのは、そのせいかもしれません。簑助のお千代は、駕籠から降りて悄然と歩き出すところから、まるで雰囲気が違います。姑に家を追い出されたお千代をやさしく庇う姉のおかるを文雀が遣います。文雀・簑助の遣う女形は、別格と言ってよいでしょう。病床に伏せる父・平右衛門は紋寿。「灰になっても帰るな。」と半兵衛・お千代を送り出します。

八百屋の段
切場の義太夫節は、嶋大夫と宗助が務めます。嶋大夫は、渋さとまろやかさを合わせもった語り口です。十九大夫が廃業してしまった後、最も充実している切語りではないでしょうか。勘十郎が義理と愛情の狭間で苦悩する半兵衛を好演します。憎まれ役の姑は紋豊。悪婆の首は初めて見ましたが、隈取が戯画的で、根っからの悪人ではないという設定です。夜が更けてから、手に手を取って死出の旅に発つ半兵衛とお千代が哀れです。

道行思ひの短夜
床は掛合いになります。津駒大夫がお千代、英大夫が半兵衛を語ります。二人とも万感こもる語りです。お千代が5ケ月になる腹の子を思い「日の目も見せず殺すかと思へば可哀うござんす。」と泣きながら夫の手にかかる場面は、人の子の親なら涙なくして観られません。「古へを捨てばや義理と思ふまじ、朽ちても消えぬ名こそ惜しけれ」の辞世の歌を詠んだ後、切腹し、妻の亡骸をかき抱きつつ絶命する半兵衛の姿に、涙が溢れて仕方がありませんでした。終演後、しばらく場内の灯りを点けないでほしいと思いました。