「絵本太功記」第1部

国立劇場文楽「絵本太功記」の通し狂言を長女といっしょに観に行く。妻と次女は留守番である。出がけは、土砂降りと言っていいほどの雨だった。何か、祝福されていない気がする。長女は雨女に違いない。ま、観劇なので雨でもいいのだが。

国立劇場小劇場に到着すると、「満員御礼」の札が掛かっていた。入場後、長女のためにイアホンガイドを借りたり、弁当を買ったりしてから、席に着く。

9:45から「幕開き三番叟」が始まる。3ケ月ぶりに観る「幕開き三番叟」だ。

発端「安土城中の段」
発端なので、浄瑠璃は御簾内、人形遣いは黒衣である。顔は見えないが、和生(春長)、玉女(久吉)、勘十郎(光秀)という顔ぶれだ。首は、主人公の光秀が文七、春永と久吉が検非違使が使われている。まずは、顔見世といったところだ。

六月朔日「二条城配膳の段」
ここから、床の上に浄瑠璃が乗り、人形も出遣いになる。浄瑠璃は掛合いだ。蘭丸を幸助が遣う。春長の命令で光秀を打擲する悪役ながら、首は源太で、衣裳も華やかだ。女形の得意な和生の春長は、暴虐さが今一つかもしれない。

同「千本通光秀館の段」
1993年の通し狂言の際、80年ぶりに復活上演されたという段である。語りは呂勢大夫。朗々としたいい声だ。将来が楽しみな太夫である。人間国宝・簑助(操)登場。簑助の遣う人形は、動きが柔らかく、断然違う。玉也が主の恥辱に激昂する田島頭を好演する。自重を促す賢臣・九野(文司)を切り捨て、光秀は謀反を決意する。忠臣が逆臣に変身した瞬間に幕切れとなる。

ここで25分間の休憩。席で弁当を食べる。

六月二日「本能寺の段」
口が新大夫、奥が伊達大夫。伊達大夫は、達者な語りだ。春長・阿野の局(紋豊)、蘭丸・しのぶ(玉英)の主従二組の酒宴の戯れが前段に置かれる。ここの浄瑠璃の詞は、際どいほど艶っぽい。後段は、光秀軍の急襲となる。身を挺して主を護ろうとする蘭丸の悲壮感を幸助が巧みに表現する。彼の芸は、一回り大きくなった気がする。

六月五日「局注進の段」
本公演では、久吉の高松城水攻めを描いた三日・四日は省略された*1。口が南都大夫、奥が千歳大夫。正清を玉志が遣う。首が鬼若なので、少し剽軽な印象を与えるが、久吉麾下最強の武将を力演。彼の成長も楽しみだ。玉女の遣う久吉は、知盛を髣髴とさせるような、役柄以上の重厚さを感じさせる。

同「長左衛門切腹の段」
切の浄瑠璃が綱大夫と清二郎。長左衛門を名手・文吾が遣う。その妻・やり梅は、「二条城」で十次郎を遣った清之助。長左衛門が久吉との和睦条件として切腹した後も、なぜか隆景(亀次)が和睦文書の交換に現れたりして、なかなか死なせてもらえない。最後には、久吉が和睦条件通り、高松城の周囲の水を引かせたのを石垣によじ登って確認した後、ようやく息を引き取る。この作品は、深手を負ってから、死ぬまでに時間がかかる登場人物が多い。

六月六日「妙心寺の段」
口が咲甫大夫、奥が咲大夫の師弟コンビである。咲甫大夫は、美しい声だが、器用にまとまってしまわず、将来の切語りを目指して精進してほしい。人間国宝の文雀(さつき)登場。文雀の遣う老女は、独特の渋く穏やかな雰囲気がある。舞台上に、文雀、簑助、紋寿(初菊)ら大家の遣う女形が並び、壮観だ。

反逆者となった息子・光秀を忌避するさつきが出奔した後、光秀は辞世の句を襖障子に認める。勘十郎が実際に筆を執って、「順逆無二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元」の五言絶句を墨跡も鮮やかに書いてみせた。田島頭に窘められて、光秀は自害を思い止まり、天下平定の決意を固める。

ここで第1部は終わり。主要な人形遣いは総出であった。満足して、いったん外に出る。

*1:日本芸術文化振興会のホームページで調べると、公演記録の残っている1966年以降、「絵本太功記」が通しで上演されたのは、1974年、1987年、1993年の3回しかなく、いずれも、三日・四日・十一日・十二日・十三日は省略されている。大詰「大徳寺の焼香」まで上演されたのは1993年だけである。今回は、14年ぶりの通し狂言になる。