加賀見山旧錦絵

夕方、大阪での仕事が終わる。他に用事のある同行者たちと別れる。さてどうしようか。こういうときのために、予め国立文楽劇場の四月公演の日程を調べてある。今からなら、第二部後半の「加賀見山旧錦絵」が幕見できそうだ。地下鉄堺筋線日本橋へ行く。国立文楽劇場の前で文雀とすれ違った。第一部の「玉藻前曦袂」で萩の方を遣った帰りのようだ。人間国宝に敬意を表して会釈する。国立文楽劇場の前の桜は、盛りを少しだけ過ぎたようだ。1月に娘たちと来て以来、3ケ月ぶり二度目の訪問だ。

チケット売場で「加賀見山旧錦絵」の幕見席を買おうとしたら、2幕分買うよりは、二等席の方が安いと勧められた。前半の「粂仙人吉野花王」を見る時間はないが、2,300円で「加賀見山旧錦絵」が丸々観られるなら文句はない。チケットを確保してから、ベンチに座って、出張報告を作成し、開演寸前に送信する。大急ぎで公演パンフレットを買ってから、場内に駆け込む。慌しいことこのうえない。

あらすじを読んできただけで、ほとんど予備知識のない演目だったが、「女忠臣蔵」と呼ばれる仇討ち物語で、なかなか面白かった。太夫では、「草履打の段」の十九大夫(局岩藤)・呂勢大夫(尾上)、「廊下の段」の伊達大夫、いずれも聴き応えのある語りだった。圧巻はやはり、長大な「長局の段」の綱大夫(切)と千歳大夫(後)だった。浄瑠璃でも屈指の難曲と言われているそうだが*1、綱大夫は様々な声音を巧みに使い分けて、尾上の苦悩を描き、千歳大夫はお初の愁嘆場を凄絶に語った。主の亡骸を前に、お初が「コレ申し御無念の魂はまだ、まだ家の棟においでなされう、エゝ聞こえませぬ、聞こえませぬ、聞こえませぬわいなう。」と慟哭するくだりでは、涙を誘われた。富助、清二郎、清治らの三味線も深い。

悪役の岩藤を遣うのが玉女。パンフレットのインタビュー記事によると、岩藤は初役で、女形を遣うのも9年ぶりなのだそうだ。岩藤に屈辱的な打擲を受けて自害する尾上が紋寿。武家の娘の誇りを守り、苦悩の果てに自害する尾上を見事に演じた。尾上の仇を討つのがお初。主の死の愁嘆場から、見事仇討ちを果たすまで、和生が熱演した。筋書上の必要から、岩藤とお初の人形には、女形には珍しく足がある。また、女形たちが中心なので、衣裳も美しく、陰惨な復讐劇ながら、華がある。

たとえ1演目だけにしても、文楽の四月公演が観られるとは思わなかった。週末に突如、出張をご下命くださった上司に感謝せねばなるまい。

*1:高木浩志「四代越路大夫の表現」(淡交社)の中で、越路大夫の「こんなしんどい浄瑠璃は、ちょっとありませんね。脂汗が滲み出る、そんな感じです。」という述懐が紹介されている。