知覧特攻平和会館

お腹もいっぱいになったところで、枕崎を後にし、知覧へ向かう。途中、一面の茶畑になる。知覧茶の産地のようだ。確かに、「味処一福」で飲んだ日本茶は、甘味があっておいしかった。茶畑の向こうには開聞岳が見える。まるで富士山のようだ。

16時前に、知覧特攻平和会館に到着。まず、特攻平和観音堂にお参りする。その隣には、特攻隊員たちが起居した三角兵舎が復元されていた。続いて、知覧特攻平和会館に入場する。ホールの正面には、「知覧鎮魂の賦」の壁画がある。炎上・墜落する一式戦闘機「隼」から戦死した搭乗員の霊を天女たちが救い出す様を描いている。

展示室内には、1945年3月26日から7月19日までの116日間に、知覧を本部とする各地の特攻基地から沖縄に向けて出撃し、戦死した1,036名の帝国陸軍特攻隊員の遺影と遺書が展示されている。慄然とする数である。「特別攻撃」が非人道的で戦術的にも愚劣であったことは論を俟たないが*1、そのために自らの命を捧げた多くの若者の犠牲の上に、現在の我々の生活があることを忘れてはならないだろう。

16:15から視聴覚ホールで館員による解説を聞く。特攻作戦が企図されるに至った戦史的背景が説明された後、特攻隊員の遺書のいくつかが紹介された。淡々とした語り口がかえって悲劇性を際立たせていた。特攻を徒らに美化することもなく、冷静かつ客観的な説明だったと思う。娘たちにとっても、特攻に対する理解を促進することができたことだろう。

展示室品の中で目を引くのは、陸軍三式戦闘機キ-61II改「飛燕」と陸軍四式戦闘機キ-84甲「疾風」である。いずれも、国内では唯一の現存機のはずだ。そのほかにも、1980年5月に鹿児島県甑島の沖合約35mの海底から引揚げられた海軍零式艦上戦闘機52丙型の前半分の残骸も展示されていた。なお、施設の性格上当然のことであるが、館内はすべて撮影禁止である。

*1:村永薫編「知覧特別攻撃隊」によると、沖縄戦特別攻撃で、海軍2,535名2,367機、陸軍1,844名1,094機の損失を出しながら、撃沈し得た敵戦闘艦は32隻という。