十月地方公演

Wilm2008-10-18


夢のお告げ
朝起きてから、府中の森芸術劇場のチケットセンターに電話しました。「今日の文楽公演・昼の部の当日券はありますか。」「昼の部は完売で、当日券もありません。」あーあ、やっぱり補助席も出ないか、橋本公演と同じだな、と思って諦めることにしました。その後、目が覚めました。夢だったようです。やけに現実的な夢です。

今日は、府中で文楽地方公演があるのでした。「ひょっとして、これは、夢のお告げか。」と思い、今度は実際にチケットセンターに電話してみました。「今日の文楽公演・昼の部の当日券はありますか。」(ないだろな。)「はい、ございます。パイプ椅子の補助席ですが、よろしいですか。」(え、嘘。)「補助席でもいいです!」(パイプ椅子だろうが、木の椅子だろうが、座らせて下されば全然文句はありません。)「あの、電話予約できますか。」(予約不可で先着順だといやだな。)「できます。」(ラッキー!)「お願いします!」(いくらだろう。普通席より安いといいな。)「お値段は3,800円です。」(え?普通席と同じじゃん。高!)と、席が確保できることがわかったとたん、期待値がころっと変わっているのでした。現金なものです。

長女に「府中のチケットが取れたから、パパ一人で行ってくるよ。」と、しれっと告げます。(訝しげに)「演目は何?」(務めてさりげなく)「一谷嫩軍記。」(みるみる表情が変わり)「えー!何それ!!するい!!!」と猛抗議を受けました。時代物の好きな長女は、前から「一谷嫩軍記」を観たがっていたのです。しかし、中間試験の直前ですから、観劇をしている場合ではありません。「来年3月にまたやるから、連れて行ってやるよ。」と鬼が笑いそうな約束をするしかありませんでした。

多難な道行
というわけで、12時過ぎに一人で府中へ出掛けていきました。稲城長沼駅の手前で、踏み切りの緊急警報が鳴ったとのことで立ち往生があり、分倍河原駅には5分遅れで到着しました。乗り継ぎを予定していた準特急には間に合わないな、と思って京王線分倍河原駅へ上がってみると、改札内に人が溢れかえっています。見れば、八幡山駅での人身事故とのことで、全線不通になっています。再開を待っていては開演に間に合いそうもないので、南口のタクシー乗場に行くと、すでに行列ができていました。これも駄目だと諦め、鎌倉街道へ向うと、途中で、運良く、空車の流しのタクシーが通りかかりました。これを拾って、何とか13時過ぎに府中の森芸術劇場に到着しました。

会場は、伝統芸能用の「ふるさとホール」(上の写真)。座席数560なので、国立劇場小劇場とほぼ同じ大きさです。舞台には三色の定式幕が降りていて、芝居小屋の雰囲気です。補助席は、最後列の直後に並べられたパイプ椅子でしたが、座面が柔らかく、鑑賞に問題はありませんでした。


「一谷嫩軍記」
「熊谷桜の段」。簑助の相模登場。「気品」という言葉は、簑助の遣う女形のためにあるのではないかと思うほどです。藤の局は簑二郎。前回の「二人三番叟」で注目した勘市が景高。憎々しげにきっちり演じます。段切で玉也の弥陀六登場。やはり、この人は、こういう役柄が似合っています。床は、松香大夫と清志郎。まずまずの浄瑠璃でした。

「熊谷陣屋の段」。この段は、「尼ケ崎」に匹敵する大浄瑠璃です。前が呂勢大夫・清治、奥が咲大夫・燕三。呂勢大夫は、清治の三味線にしっかり支えられながら、須磨浦の物語で渾身の語りを聞かせてくれました。咲大夫は、世話物に適性があると思いますが、相模のクドキでは、胸塞がれる語りで涙を誘いました。

人形では、簑助が息子の首をかき抱いて嘆き悲しむ相模を哀切に遣います。勘十郎の遣う直実は、終始、深い悲憤を内に秘めた武将の性根を大きく、かつ格調高く表現していました。玉也の遣う(弥陀六実ハ)宗清は、頼朝・義経を助けたばかりに平家滅亡を招いたことを地団駄踏んで後悔する場面が見ものでした。

期待通り、「一谷嫩軍記」は、すばらしい作品でした。来年3月の地方公演も、ぜひ長女といっしょに観たいものです。


「紅葉狩」
休憩の後は景事の「紅葉狩」。昭和14年に初演された新作です。床は、千歳大夫、咲甫大夫、呂茂大夫、宗助、清馗、清丈、清公の掛け合いです。千歳大夫は、更級姫にしては、声が艶がないのが気になりました。咲甫大夫は、いつも通り、丁寧できれいな声です。

維茂は勘緑。更科姫は清十郎、清五郎、紋吉の三人出遣いです。清十郎は、地方公演でも襲名披露という趣向なのでしょう。更科姫の舞では、けっこう曲芸的な技も披露しますが、肝心のところで清五郎が扇を取り落とし、流れを乱したのは残念でした。

幕切れは、「戻橋」と違って、鬼女を退散させるまでには至らず、ちょっと後味の悪い感じです。「紅葉狩」を先に持ってきて、「一谷嫩軍記」の感動をそのまま抱えて帰途に就けたらよかったのにな、と思いました。