文楽四月公演

国立文楽劇場の横でタクシーを降ります。携帯電話で話をしながら自転車でやってきた青年を見ると、咲甫大夫でした。楽屋へ向かう簑一郎の姿も見かけました。劇場の前の桜もまだ花盛りで、春の芝居小屋の雰囲気満点です。1階の資料展示室を見たり、両親のためのイヤホンガイドを借りたり、弁当を買ったり、慌しく観劇の準備をした後、劇場内に入ります。10:45から幕開き三番叟です。

「競伊勢物語」 忠義が生む悲劇
最初の演目は、「競伊勢物語」です。珍しい演目らしく、公演記録を調べても、1974年(東京)と1987年(大阪・東京)の3回しか上演されていないようです。今回は、21年ぶりの再演ということになります。見所は何と言っても、「春日村の段」。中の咲甫大夫、次の千歳大夫もいい語りでしたが、長大な切場を語った住大夫は、やはり別格です。人形では、文雀(小よし)の枯れた味わい、玉女(有常)の抑制しつつも激情を秘めた所作、幸助(鐃八)の豪快さが印象に残りました。しかし、忠義が親子の情愛や人命よりも優先する、という価値観は、現代人には理解しにくいところです。

勧進帳」 人形遣いが見えなくなる
休憩後は「勧進帳」。大夫9人・三味線7人の掛け合いなので、床は賑やかです。弁慶は、主遣いの勘十郎だけでなく、左の幸助、足の簑紫郎も裃をつけています。三人出遣いは初めて見ました。頭巾を被っていない左や足を見ると、その大変さがよくわかりました。超然とした表情で遣う勘十郎とは対照的に、幸助も簑紫郎も真剣そのものの表情です。弁慶と富樫(和生)の応酬や、幕切れの舞では、人形遣いたちの姿が見えなくなり、人形だけが迫ってきました。人形遣いが役柄の性根と一致すると、人形遣いが見えなくなる、と言われているそうですが、初めて体験しました。

太夫では、咲大夫(弁慶)と呂勢大夫(富樫)が、息詰まる問答を聴かせてくれました。三味線陣を率いるのが清治でしたが、心なしかやつれて見えたので、ちょっと心配です。

終演後、出口では、背広に着替えた住大夫が客の見送りをしていました。毎度のことながら、頭が下がります。