受難の裏高尾縦走

明王峠の茶店の前の道を真っ直ぐ下っていく。途中、道が粘土質になっているところで、足を滑らせ転倒した。一瞬、1月の金閣寺の悪夢が蘇ったが、今回は、左腰を軽く殴打しただけすんだ。しかし、ズボンの左裾や手は泥だらけになってしまった。ケルンのように石を積んだ石投げ地蔵の小塚を過ぎ、林道に出たところで道を間違えたことに気づいた。相模湖へ下りる道に入ってしまったのだ。裏高尾縦走路は、里に下りるエスケープルートが多いので安心な反面、分岐に注意しないと、このようなことが起こる。明王峠まで来た道を引き返す。道を間違えたり、迷ったりしたときは、引き返すのが山の鉄則だ。しかし、往復30分の時間と体力を浪費した。次女は、明王峠への登り返しで大分めげた。

明王峠から本来の縦走路に戻る。小さなアップダウンを繰り返していく。大きなピークには巻き道がある。軟弱な我が遠征隊は、迷わず巻き道を選ぶ。武田信玄の時代、情報伝達用の鐘撞堂があったという堂所岳(731m)も巻いてしまった。そのうち、長女が足の不調を訴え出す。去年、谷川岳で私が苦しんだ足のつりを起こしたようだ。景信山への縦走路を休み休み、蝸牛の歩みで登っていく。予定よりも1時間近く遅れ、13時近くに景信山に到着した。標高727mの山頂は、茶店の裏の隆起で、木に遮られて眺望はほとんどない。