「字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ」読了

太田直子「字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ」(光文社新書)を読了した。字幕翻訳家が書いたエッセイだ。字幕翻訳稼業の苦労話だけではなく、昨今の日本語の乱れが指摘されていて面白い本だった。字幕翻訳に興味のある人だけでなく、昨今の日本語の乱れや教養・常識の低下に眉をひそめる人に一読をお勧めする。

本書では、「食べる」の意味での「いただく」の濫用が指弾されているが、同感である。私が気になる濫用・誤用に以下のものがある。

【住まう】
高級マンションの宣伝文句に、必ずと言っていいほど「住まう」が出てくる。「東京のウォーターフロントに住まう」といった調子の気取った筆致で高級感を醸成しようとしている。いっそのこと「東京のウォーターフロントに住まいたもう」としたらどうだろう。

【さらなる】
野口悠紀雄がエッセイの中で誤用であると指摘しているのを読んで以来、私自身使わないのはもちろん、会社の文書で「さらなる」を見つけたら、「いっそうの」に修正するようにしている。古語辞典を引けば誰でもわかることだが、「さらなり」という形容動詞は、「いまさらという感じがする」「改めて言うまでもない」という意味だ。「さらに」を小難しく表現しようとして、「さらなり」の連体形を持ち出したのだろうが、誤りである。しかし、今や、新聞の見出し語にも使われるほど、完全に定着してしまった。

【あげる】
我が家では、娘たちが「金魚にエサあげた?」と口をすべらせようものなら、たちどころに「今何て言った?」と突っ込みが入り、「金魚にエサやった?」と言い直しをさせられる。我々夫婦は、彼女たちが乳飲み子の頃から「お乳をやる」「離乳食をやる」と言って、親の権威を維持してきた。

最近では、「あげる」対象が赤ん坊や動植物だけではなく、電子計算機やソフトウェアにまで拡大しているのは、まことに憂慮すべき事態である。一部の情報通信系の人たちが「アップロードしてあげる」とか「パッチをあててあげる」とかいった表現を好んで使っているのだ。電子計算機を擬人化するだけでなく、崇敬の対象としているようで不気味である。こういう人がディスカバリー号やノストロモ号の情報システム責任者を務めていたら、乗組員は誰も助からなかっただろう*1
字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ (光文社新書) 2001年宇宙の旅 [DVD] エイリアン ディレクターズ・カット アルティメット・エディション [DVD]

*1:実際、ディスカバリー号とノストロモ号の乗組員で生き残ったのは、HALを機能停止させたデヴィッド・ボウマン船長と、マザーに抵抗を試みたエレン・リプリー二等航海士だけだ。