カラヤンの1939年盤「悲愴」

今読んでいる中川右介カラヤンフルトヴェングラー」(幻冬舎新書)の中で、フルトヴェングラーカラヤンのレコード録音への適性を対比するために、彼らがベルリン・フィルを指揮して、1938年、1939年と相次いで録音した「悲愴」が紹介されている。フルトヴェングラーの1938年盤は、古典的名盤である。私は、フルトヴェングラー信奉者というわけでもないが、一応、NAXOSから出た復刻盤を持っている。ところが、同書の中では、「フルトヴェングラーという類稀なる音楽家は、《悲愴》のカラヤンのレコードと自分のとを比較し、カラヤン盤のほうが優れていることを認識したに違いない。」(59頁)と記されている。これはちょっと見過ごすわけにはいかないな、と思い、会社の帰りに新宿のHMVに寄る。チャイコフスキーの棚になかったので、TOWER RECORDSに移動する。ここも、チャイコフスキーの棚にはなかったが、歴史的録音の棚に見つけたので、買う。わずか890円である。

果たして、どんな録音か。聴いてみると、フルトヴェングラーよりも、多少洗練された印象はあるが、よく似た演奏である。「自分にはこうはできない。フルトヴェングラーは焦った。」(59頁)と言うほどの違いはない。半年も離れていない録音だけに*1、当時のベルリン・フィルに染み付いていたフルトヴェングラー色を上塗りするのは所詮無理だったろう。ただ、現在とは比べ物にならないくらい、レコード録音が稀少であった時代、31歳の誕生日を迎えたばかりの若手指揮者に、ベルリン・フィルを指揮して「悲愴」を録音する機会が巡ってくるのは、きわめて異例であったに違いない。そのことがフルトヴェングラーを刺激したという推測は十分成り立つ。

結論としては、フルトヴェングラー盤もカラヤン盤も甲乙つけがたい名演ではあるものの、古いモノラル録音でもあることゆえ、それぞれの指揮者の愛好家向けのレコードだ。「悲愴」と言えば、やはりムラヴィンスキーの1960年盤が圧倒的名演である。
チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴 チャイコフスキー:交響曲第6番(紙ジャケット仕様)

*1:フルトヴェングラー盤は1938年10月25-27日、カラヤン盤は1939年4月15日の録音。