「フェルメール全点踏破の旅」読了

朽木ゆり子「フェルメール全点踏破の旅」(集英社新書)を読了した。欧米の美術館に点在するフェルメールを訪ねて歩くという、フェルメール好きなら誰でも夢見ている旅のルポルタージュである。書名を見て矢も盾もたまらず買ったのだが、ちょっと羊頭狗肉に引っかかったかな、という読後感だ。

買う前に気づくべきだったのだが、「合奏」(1666)は、1990年にボストンの美術館から盗難されて以来、現在に至るまで行方不明だし、「聖女プラクセデス」(1655)は個人蔵なので、そもそも現時点で「全点踏破」することは不可能なのである。著者も「終章」に至ってそのことを認めている。本書は、フェルメールの真作かどうか議論のある作品も含む全37点中、上記2点と「音楽の稽古」(1662)、「手紙を書く女と召使」(1672)の4点を除く33点の「踏破」であるということを予め知っておいた方がよいだろう。その意味では、書名は「フェルメール全点中33点踏破の旅」とするべきであった。

また、「フェルメール全点踏破」を目指して苦節20年、ようやく33点目に巡り会えて随喜の涙を流した、というような物語を期待すると裏切られる。読んでいるうちにだんだん気づいてくるが、1回の旅で33点を一気に「踏破」しているのである。「あとがき」でようやく告白されるが、雑誌の企画で執筆したものであり、2004年12月から2005年1月にかけての3週間弱で「踏破」している。何となく消化試合的な印象がつきまとうのは、そのせいだ。

もっとも、期間や費用負担者の問題はさておき、フェルメールの大部分の作品を観て回る、というのは、やはりロマンのある話であり、興味深い。上述のことが容認できるフェルメール愛好家であれば、読んで損はないだろう。上質紙に印刷された図版や写真は美しく、眺めるだけでも十分楽しい。

なお、フェルメールの作品の謎解き・種明かしという点では、フェルメール研究家の小林頼子らによる「フェルメール・大いなる世界は小さき室内に宿る」(六耀社)が秀逸である。小林は、些かでも疑問のある作品は真作と認めず、32点説を採っている。
フェルメール全点踏破の旅 (集英社新書ヴィジュアル版) フェルメール―大いなる世界は小さき室内に宿る (RIKUYOSHA ART VIEW)