「菅原伝授手習鑑」

14時開演。「杜のホールはしもと」は初めて来たが、内装に木を使い、座席数も535とこじんまりしていて雰囲気がよい。音響もよさそうである。ただし、椅子がなぜか座面の途中で折れ曲がるようになっており、座り心地がいいとは言えない。

舞台上手に出語り床が特設されている。さすがに、文楽廻しの仕掛けはなく、御簾を下ろして太夫と三味線が出入りするようになっている。残念ながら、字幕サービスはなかった。

まず、呂勢大夫、清丈、幸助が入れ替わり登場し、太夫、三味線、人形遣いの解説をする。我々文楽初心者にとってはありがたい趣向だ。いずれも軽妙な語りでそれぞれの役割や表現上の工夫を要領よく説明してくれた。

解説の後、「菅原伝授手習鑑」全五段から四段「寺入りの段」「寺子屋の段」が演じられる。人形遣いは、松王丸:玉女、女房千代:文雀、小太郎:玉誉、武部源蔵:玉也、女房戸波:玉英、御台所:亀次、菅秀才:玉勢、春藤玄蕃:玉志といった顔ぶれである。

「寺入りの段」では、人間国宝・文雀が遣う千代の繊細な動きを堪能できた。義太夫は津国大夫と清馗。

続く「寺子屋の段」では、小太郎殺害を決意した源蔵が「せまじきものは宮仕へ。」と天を仰いで立ち尽くす。源蔵の苦悩を玉也が控えめな所作で表現する。玄蕃と松王丸が到着し、菅秀才の首を要求され、源蔵は刀を携えて奥の間に消える。机の数をめぐる千代と松王丸の息詰まる応酬の最中、首を打つ音が聞こえる。さながら、シュトラウスの「ザロメ」で、首切り役人がヨハナーンの首を刎ねる場面のようだ。続く首実検の場面では、我が子の首と対面する松王丸の動揺を抑えた所作を玉女がみごとに演ずる。切の義太夫は、十九大夫と清介。十九大夫は、先日の「仮名手本忠臣蔵」の「塩谷判官切腹の段」と同様、重厚な語りを聞かせた。

やがて松王丸・千代夫妻の悲壮な決断が明らかになる。源蔵から愛息・小太郎の最期の様子を尋ね、「潔く首をさしのべ、にっこりと笑うて。」と聞くや、「にっこりと笑いましたか。」と泣き笑いする。四段中の白眉の場面である。続いて、夫婦で哀切極まりない「いろはの野辺送り」を舞って幕となる。奥を勤めたのは、呂勢大夫と清治。呂勢大夫は、朗々とした美声と大音声を駆使して力演した。

休憩後は、「釣女」が演じられる。太郎冠者:文司、大名:幸助、美女:和右、醜女:勘弥という顔ぶれの人形遣いだ。狂言「釣針」に基づく話なので、気楽に観られる。検非違使の頭を使った大名は、深刻な表情をしているが、どことなく馬鹿殿様っぽいので、その落差がおかしい。

今日も堪能した。特に、「寺子屋の段」は、人形遣い太夫、三味線が三位一体の三業で作り出す緊迫した芸に感銘を新たにした。長女などは、終わるなり、「次は12月だよね。」と、もう国立劇場の「義経千本桜」を観に行く気になっている。むろん、私もそのつもりだ。見取りとは言え、「仮名手本忠臣蔵」「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」の三大名作を立て続けに観られる機会は、そうそうないだろう*1

帰りがけ、エスカレータの途中で、すでに私服に着替えた玉女を見かけた。言われなければ、カジュアルウェアを着たおじさんが名人形遣いとは誰も気づくまい。

京王線で帰る。先頭車両は、京王多摩センターまでほとんど貸切状態のように空いていた。

夕食時、文楽の話題になった。「東京では上演の機会も限られているから、本当に文楽が好きな人は、本場の大阪まで観に行くんだろうね。」と自分で言ってから、「文楽が好きな人は」「大阪まで観に行く」という言葉が反芻された。いかん、新しい旅行の企画ができてしまいそうだ・・・。私の表情の変化を目敏く読み取った次女は、「私だけ行ったことのない北海道が先よ。」とすかさず釘を刺すのを忘れなかった。さすがである。

*1:過去1年間では、2006年4月に国立文楽劇場(大阪)で「菅原伝授手習鑑」の「車曳」「茶筅酒」「喧嘩」「桜丸切腹」「寺入り」「寺子屋」、同5月に国立劇場で「義経千本桜」の「椎の木」「小金吾討死」「すしや」、同6月に国立文楽劇場で「菅原伝授手習鑑」の「車曳」「寺入り」「寺子屋」(文楽若手会)が上演されたのみである。