駆逐艦「初霜」の主錨

蔵前橋通りに出て、石原二丁目にある山田記念病院に行く。ここの玄関脇に、駆逐艦「初霜」の主錨が展示してある。この病院の創立者・山田正明医学博士が「初霜」の軍医長を務めた縁から、戦後、解体中の「初霜」の主錨を引き取ったという。「初霜」は、「大和」に随伴して菊水一号作戦に従事し、「雪風」「冬月」「涼月」とともに生き残った艦だ。巡洋艦「矢矧」の生存者を救出して日本に帰投後、「雪風」とともに第六艦隊第三十一戦隊に編入。1945年7月30日に、天橋立で有名な宮津湾内で、米軍機の攻撃を回避中に触雷し、擱座着底した。太平洋戦争中、最後の駆逐艦の戦没ということだ*1。「大和」とともに沖縄に向かった駆逐艦の錨に触れるのは感慨深いものがあった。
http://d.hatena.ne.jp/Wilm/20060312

*1:最後の戦没となった戦闘艦は、8月13日に米国潜水艦の雷撃によって沈没した伊373潜水艦。