韓国の文化遺産

景福宮駅5番出口から地上に出てみると、もう景福宮の中だった。光化門と興禮門の間の広場で王宮守門将(衛兵)交代式をやっていた。古い武具に身を固めた兵士たちが大勢いる。バッキンガム宮殿の衛兵のように、本職の軍隊が警護しているのか、それとも観光用の趣向なのかはよくわからない。*1ちょっと哀調を帯びた軍楽を聞くと、ユーラシア大陸の端にいることを実感する。

入場券を買って、宮内に入る。興禮門から内側は、日本が併合時代に大部分を破壊してしまったものを復元したらしい。日本人として少々肩身の狭い思いをする。勤政殿は、故宮の太和殿ほどではないにせよ、なかなか壮麗な建物だ。景福宮全体が国力に合わせて故宮を縮小したような入れ子式の建物配置になっている。一番奥の香遠亭まで行くと、壁の向こうに青い屋根瓦の建物が見えた。大統領官邸の青瓦台だ(と思うことにした)。反時計周りに宮内を一周して光化門に戻る。途中で、チマチョゴリを着た女性を見かけたが、2日間の滞在中、このときだけだった。日本の着物と同様、もはや普段着ではないのだろう。

光化門から通りに出ると、美しい銀杏並木だ。季節が東京より1ケ月早いようだ。景福宮駅から地下鉄で1駅隣の安國駅に移動する。制服を着た高校生が大勢いた。日本の高校生と似たような感じだな、と思う。通りに上がると、「冬のソナタ撮影地・中央高校」という看板があった。彼らは、中央高校の生徒たちだったらしい。

世界遺産に指定されたという昌徳宮に行く。正面の敦化門は、韓国最古の木造二層門(1412年創建)なのだそうだ。所要時間90分のツアーに参加しないと宮内を周れないシステムになっている。15分後出発の日本語ツアーを待つ時間が惜しかったので、ちょうど出発するところだった韓国語ツアーに参加する。当然、ガイドの説明はまったくわからない。先に行こうとすると、こういう輩のために、ちゃんとお兄さんが立っていて、制止される。仕方なく、説明が終わるのを待つ。ここでも「日本軍が破壊したものを再建しました。」とかいう話をしているのではないかと気が気でない。*2韓国で唯一の青瓦の宮殿という宣政殿(1405年創建)を見た後、時間がないのでツアーから離脱する。後戻りする分には差し支えないようだった。やはり、きちんと解説を聞かないと、世界遺産の有難味が実感できないようだ。

敦化門の前でタクシーを拾い、南大門へ移動する。仁寺洞の交差点を郵政局路に左折する。途中、立派な鐘楼が見える。普信閣だ。南大門路を下って、ロッテ百貨店などが建ち並ぶ明洞の繁華街を抜け、南大門市場の近くで降ろしてもらった。

南大門市場は、上野のアメ横を巨大にしたような場所だった。衣料品店、食料品店、眼鏡屋などが無数に立ち並ぶ。日本人観光客目当ての店も多く、看板が日本語だったり、流暢な日本語で話しかけられたり、同行者が店内に引きずり込まれたりした。買い物が目的ではないので、私は店内には足を踏み入れなかった。

崇禮門(南大門)へ行こうとしたのだが、道を間違え、ソウル駅前に出てしまった。東京駅の両翼を取り外したような駅舎が見える。南大門路を引き返し、景福宮の正門にあたるという崇禮門へ行く。改修工事中でアーチの部分に覆いがされていたが、これも立派な建物である。1398年創建の韓国最古の木造建築とか。運よく、把守(衛兵)の交代式が始まった。任務を終えた偉丈夫な二人の衛兵は、のしのしといずこかへと歩み去って行った。

ここで観光は時間切れ。南大門市場へ戻って、手近な韓国料理屋に入って昼食にする。ここは、写真入りのメニューがあったので、できるだけ淡白そうなソルロンタンにする。と言っても、ぐらぐら沸騰状態で出された牛肉スープは、かなりのボリュームがあった。周りの韓国人を見ると、チゲやタンなどの汁物が定番料理のようだ。

タクシーでホテルに戻り、預けてあった荷物を受け取る。タクシーで最後の仕事先に移動。17時頃仕事が終わり、タクシーで金浦国際空港に向かう。途中、漢江の向こうに夕日が沈んでいった。タクシーの運転手が間違え(と言うより、韓国語で行き先を説明できない我々の落ち度だ)、国内線ターミナルで降ろされる。仕方なく、ターミナル連絡バスに乗って国際線ターミナルに移動する。しかし、このバスは、何故か大韓航空アシアナ航空の貨物ターミナルまで回っていく。そんなところに用事のある旅行者はいないと思うのだが。大韓航空の駐車場に入っていき、こんなところで「終点です。どなた様もお降りを。」と言われたらどうしようと心配していたら、Uターン場だったようだ。ようやく国際線ターミナルにたどり着く。

閑散としたアシアナ航空のカウンターでNH1294便のチェックイン開始を待つ。チェックイン後、ターミナル内のデパートを物色する。職場への土産の菓子を買う。ここで同行者と別れ、アシアナ航空のラウンジへ行く。メールのできる席は塞がっていたので、PCが備え付けてある席で、韓国ビールを飲みながら、ウェブ・チェック。最後に、ハングルのメニューに四苦八苦しつつも、アクセス履歴を消去して席を立つ。

出国後、免税品店で妻子への土産を探す。娘たちには、螺鈿模様のキーホルダー(開くと小さな手鏡になる優れもの)、妻には韓国らしく水色のターコイスのペンダントを買う。

36番ゲートの前で搭乗開始を待つ。わずか19時間前に降り立ったところとは思えない。何日も滞在していたような気がする。懸念した通り、外は暗くて機材の登録番号が確認できない。19時半頃、羽田行きNH1294便の搭乗開始。ボーディングブリッジから前脚の格納庫扉の登録番号を確認しようと思ったが、窓がない。やむなく、搭乗時に客室乗務員に「この機材の登録番号を教えていただけますか。」と尋ねる。「機番ですね。」と確認してから(業界用語では「機番」と言うらしい)、分厚いファイルを取り出してJA8356だと教えてくれる。あてがわれた17Aは、ちょうどエアコンのダクトが通っているところらしく、窓がない。機内は空いていたので、客室乗務員に頼んで、ドアクローズの後、15Gへ移動させてもらった。Yクラスの最前部だ。

20:10スポットアウト。滑走路は32R。昨日着陸した14Lの反対側からの離陸だ。20:23離陸。離陸後、左旋回(そうしないと、たちまち北朝鮮の領空に入ってしまうだろう)。黄海の海岸線に沿って南下しているらしく、地上の光と沖合いの漁船の集魚灯が見える。やがて食事サービス。今日の晩御飯は白ワインとサンドイッチだ。3食連続重かったので、これくらいでちょうどよい。食後、Blogを書いているうちに、もう着陸準備のアナウンスだ。眼下に房総の夜景が広がっている。東京湾上に出ると、例によってアクアライン海上橋と海ほたるが見える。21:55に34Rに着陸。*3飛行時間はわずか1:33だ。22:01に2番ゲートにスポットイン。1番ゲートにJA8911が駐機していた。連日のお勤めらしい。

入国審査後、ターミナル連絡バスで第1ターミナルへ移動。ここで同行者と別れる。1階の全日空商事エアラインプラザ店に行く。当然、もう閉まっているが、できたばかりのダイキャストモデルコーナーの陳列を店外から眺める。かなりの品揃えだ。近いうちにまた来よう。

京浜急行羽田空港駅に下りて行き、22:37発の特急久里浜行きに乗る。ところが、旅の疲れでうとうとしているうちに、目が覚めたら、京急川崎を発車するところだった。慌てても遅い。京急鶴見で停まってくれないかとの期待も虚しく、「次の停車駅は神奈川新町。」との車内放送。横浜まで連れて行かれるわけではないらしい、とひとまず安堵する。しかし、次々と景気よく駅を飛ばしていき、結局、京急川崎から8駅先でようやく停車した。ちょうど特急の接続待ちをしていた上り普通電車に乗れた。今度は眠ってしまわないように、目を開いていたのは言うまでもない。車内を見回すと、あまりソウルの地下鉄と雰囲気が違わないな、と思う。

川崎で南武線に乗り換え、24時頃、家にたどり着いた。妻子はすでに寝ており、私を出迎えてくれたのは、3匹の夜行性動物(ハムスター)であった。

初めての韓国訪問だったが、たいへん興味深かった。社会的には、世界のどの国よりも日本に近いのは間違いない。経済的には、ほとんどの産業領域で日本に追いつき、情報通信分野ではむしろ先行していると感じた。対日感情はよいとは言えないが、日本は、重要な外交パートナとして、この近くて遠い隣国と付き合っていく必要があるだろう。

*1:崇禮門(南大門)に「衛兵交代式は10〜16時。雨天と火曜日は休止。」という看板があったので、こちらも観光用と見た。精鋭の韓国陸軍なら、「雨なので警護はお休みです。」とは言わないだろう。そもそも、守るべき王様が住んでいるわけではないのだ。

*2:実際、ここでも日本軍が登場するのだが、旧帝国陸軍ではなく、壬申倭乱の豊臣秀吉軍らしい。

*3:深夜なので、この滑走路に着陸することは予想できた。