ドン・ジョヴァンニ

今日は、「ドン・ジョヴァンニ」の日だ。1週間に2回オペラを観に行くのは、妻とヨーロッパ旅行をして以来のことだ。今回は、子供を我孫子の実家に預けることにしたので、南武線京浜東北線常磐線を乗り継いでいく。汗だくで実家に到着。昼食をご馳走になってから、慌しく出発。オペラを観るのも重労働だ。

今日の二期会の公演は、何と言っても、宮本亜門の演出が興味深かった。設定をテロによる破壊のあった現代の大都市としながら、台本と整合した世界観を構築していたのには感心した。自らの生き方に忠実であろうとするあまり、命を削りながら破滅へ突き進むジョヴァンニ、主人に対する同性愛から女性たちに嫉妬するレポレロ、オッターヴィオと若い男の二股をかけている打算的なアンナ、アンナの歓心を買いたい一心でジョヴァンニを殺害するオッターヴィオ、相互不信を麻薬とセックスで糊塗しているマゼットとツェルリーナ等々、多彩な人間像が提示されていた。ジョヴァンニのセレナードをエルヴィラの侍女の娘に向かって切々と歌わせたり、ジョヴァンニと石像の応酬のさなかにオッターヴィオがジョヴァンニを射殺したり、といった新解釈は、単なる思い付きに留まらない意味を持っていたと思う。ただし、幕切れで登場人物たちに星条旗を振らせたのはいただけない。演出上、米国を称揚したり、貶めたりする必然性はなかったからだ。ペトルーシュカのように高みに現れたジョヴァンニの亡霊によって、辛うじて終幕の感動が維持された。「コジ・ファン・トゥッテ」も宮本亜門の演出で上演するようだから、今から楽しみだ。

歌唱陣は、タイトルロールの黒田博が宮本演出のジョヴァンニ像を好演した。アンサンブルとしてよくまとまっていたと思う。パスカル・ヴェロの指揮は、2002年の「フィガロの結婚」のときはやや重さを感じさせたが、今日は、速めのテンポで軽快に進んだ。

満足して常磐線で帰途につく。妻の実家での夕食では、例によってしこたま酒を飲み、食後直ちに轟沈。