「マノン・レスコー」

妻といっしょに、ウクライナ国立歌劇場の来日公演を観に、柿の木坂の「めぐろパーシモンホール」へ出かけて行きました。出し物は「マノン・レスコー」。プッチーニ出世作と言いながら、なぜか日本ではあまり人気がなく、5-6年に1回くらいしか上演されません。21世紀になってからは、今回のウクライナ国立歌劇場の来日公演が2回目の上演シリーズのはずです。

めぐろパーシモンホール」は初めて行くホールですが、無機的な外観(写真)とは裏腹に、内装に木を多用した落ち着いた雰囲気です。座席数は約1,200で、ちょうどよい大きさです。しかし、その座席は6割程度しか埋まっていません。この歌劇場は、今回の来日公演で「マノン・レスコー」をすでに上野で2回、武蔵野で1回上演しており、今日が4回目になります。さすがに、この演目で7,000人以上の観客を動員するのは、東京でも無理ということなのでしょう。

この作品の不人気の原因は、やはり台本にあるのかもしれません。「ファム・ファタール」のマノンが放蕩の挙句、運命の坂を転げ落ち、最後はアメリカの荒野で野垂れ死にする、と書くと身も蓋もないようなお話なので、ちょっと主人公に感情移入しにくいのが致命的なのでしょう。優柔不断でマノンの側を離れられないデ・グリューも、「カルメン」のドン・ホセや「ルル」のアルヴァほどの同情は集められそうもありません。

しかし、演奏や演出はなかなかでした。題名役がカステリーナ・ストラシチェンコ、デ・グリューがミコラ・シュリャーク、レスコーがヘンナージィ・ヴァシェンコ、ジェロンテがブフダン・タラスと、名前を聞いたことのある歌手は一人もいませんが、いずれも役柄にあった歌唱と演技だったと思います。特に、主役の二人は、自己中心的なマノンとおどおどしたデ・グリューを好演していました。演出は至ってオーソドックスなもので、簡素な舞台装置ながら、それらしい雰囲気を出していました。首席指揮者ヴォロディミル・コジュハル指揮の歌劇場管弦楽団も、重厚かつ甘美なプッチーニを堪能させてくれました。

余談ながら、台本の設定に注文をつけるとすると、第3幕第2場の「ニューオーリンズの荒野」は無理があると思います。ミシシッピ川河口近くに位置するニューオーリンズは、Google Mapでご覧いただくとおわかりの通り、現代に至るも、周囲は湖沼か湿地帯ばかりで、砂漠のような荒野はどこにもありません。最寄りの荒野は、テキサス州南部あたりということになり、500km以上歩く必要があります。今日の書き割りにあったような、山のある荒野ということになると、テキサス州西部まで行かなければならず、その距離は1,000kmを優に越します。マノンは、それだけ歩くことを余儀なくされたので、健康を害し、死に至った、ということであれば納得しますが、そうなら、「テキサスの荒野」と題すべきでしょう。何だか西部劇みたいですが。