「崖の上のポニョ」宮崎アニメとの惜別

昼間、娘たちを連れて日野の実家に行き、両親といっしょに、野猿街道の「車屋」で昼食をとりました。ここの蕎麦は、なかなかいける方だと思います。写真は、「車屋」の素朴なステンドグラスです。

夕方、所属する学会の夏期講習会帰りの妻と多摩センターで待ち合わせをし、ワーナー・マイカル・シネマズで「崖の上のポニョ」を観ました。

はっきり言って、退屈な映画でした。

主題はおろか、メッセージすらないので、「映画」の名に値するかどうかも些か疑問です。監督が作りたいように作ったという独善的な本作*1に比べれば、あの「ゲド戦記」は、「映画」に仕上げるべく涙ぐましい努力をしたとも言えるでしょう。

無論、どんな映像作品も、主義主張を持たなければならないと言うつもりはありません。しかし、いやしくも、小屋に客を呼んで木戸銭を取り、1時間半以上の尺のある映像を見せるのであれば、最低限、客に向けた何らかのメッセージは必要でしょう。*2

しかし、宮崎駿監督は、メッセージを発するのに疲れてしまったようです。逆に言えば、発するのに疲れてしまう程度のメッセージしかお持ちでなかったのかもしれません。本作は、「私が作りたいのはこの程度の映像作品です。これでよろしければ、今後ともご贔屓ください。」と訴えかけているようです。目の下に隈を作り、状況に振り回されて右往左往するフジモトは、年老いて魔法が使えなくなったハウルのようです。監督は自らの姿を彼に仮託したのでしょうか。

「宮崎アニメ」の閉塞感は、前作の「ハウルの動く城」において、すでに濃厚に滲み出ていましたから、本作の内容・レベルは、予想の範囲内とも言えます。「宮崎アニメ」は、「もののけ姫」で「風の谷のナウシカ」の原作を彷彿とさせる大きな世界観・歴史観・自然観を描き、「千と千尋の神隠し」でアニメーション表現の極致を提示してくれました。しかし、遂にその先に進むことはなく、「子供向けアニメ」の緩く生暖かい世界に退行・沈潜していくようです。

私としては、「風の谷のナウシカ」の完全アニメーション版を観ることができずに終わったのが残念でなりません。
http://d.hatena.ne.jp/Wilm/20041127
http://d.hatena.ne.jp/Wilm/20051123

*1:独善という意味では、押井守監督の「立喰師列伝」も負けてはいません。http://d.hatena.ne.jp/Wilm/20060410

*2:達観した妻は、「三鷹の森ジブリ美術館で上映している映像作品の長いやつだと思えばいいのよ。」と諭してくれました。確かに、「くじらとり」「そらいろのたね」のような傑作があります。