コロー展 ちょっと期待外れ

昨日で仕事が一山越えたので、前半休を取って、上野に展覧会を観に行くことにしました。国立西洋美術館でやっている「コロー 光と追憶の変奏曲」です。この小っ恥ずかしい副題を何とかしてもらいたいところですが、筋金入りのコロー・ファンを自認している私としては、今年最も期待している展覧会です。私は、コローの魅力は、(1)そこで時間が止まっているかのような静謐さ、(2)空気と光を描き取ったような透明さ、(3)どこかで見たことのあるような懐かしさ、にあると思っています。

結論を急ぐと、ちょっと期待外れでした。油彩が109点*1、版画が10点なので、一見、点数は少なくないのですが、他の画家の絵が25点も含まれています。同じ画題や構図の絵を並べてコローと比較してもらおうという趣向のようですが、「それがどうしました。」と言いたくなるような陳腐な発想です。最近めっきり減った百貨店主催の客寄せ展覧会であれば、「コローと近代フランス絵画名品展」などといった名前がついたところでしょう。

肝心のコローも、名作佳作揃いとは言いがたいところです。実は、私は風景画家コローをこよなく愛しつつも、人物画家としては、被写体の表情をなべて暗く描いてしまうので、あまり好きではないのです。そのコローの人物画・肖像画が25点も含まれています。結局、私の好きなコローは、全体の半分ほどしか占めていないことになります。

今回、ルーヴル美術館のコレクションを相当数借り出したようですが、皮肉なことに、私が最も感銘を受けたのは、31「ヴィル=ダヴレー」(1835-40)と30「ヴィル=ダヴレーのカバスュ邸」(1835-40)の2点の国内コレクションで、前者はブリヂストン美術館、後者は村内美術館で観たことがある作品です。ほかには、山襞や空の淡い描写が美しい12「パピーニョの河岸」(1826)、人物画で唯一しみじみとした哀感の漂う15「ローマ、コローの長持に座る老人」(1826)といったローマ時代の画業や、遺作の110「ビブリ」(1874-75)が印象に残りました。

コロー以外の画家では、幾何学的な構成感が面白いドランの65「アミアン」(1947)、ゴーギャンには珍しい画題の76「ノルマンディーの風景、沼の片すみ」(1885)、怜悧なマティスの100「赤いキュロットのオダリスク」(1922)あたりが目を引きました。ほかにも、ドニ、シニャックセザンヌルノワール、モネ、シスレーピサロ、ブラック、ピカソら、錚々たる顔ぶれなのですが、主役を食ってしまわない程度の脇役に甘んじていました。

いろいろ注文はあれど、久しぶりにコローの絵をまとめて観ることができ、それなりに満足することはできました。帰りがけに常設展の松方コレクションを観てから、美術館を後にしました。

*1:神戸展は、93マティスマンドリンを持つ女」(1921-22)が追加展示されるので、110点です。うらやましい。