「モーリス・ド・ヴラマンク展」

今日は珍しく休日出勤でした。仕事を片付けた後、新宿の損保ジャパン東郷青児美術館に寄って、「モーリス・ド・ヴラマンク展」を観てきました。ヴラマンクの没後50周年を記念した回顧展です。私は、これまでフォーヴが苦手で、ヴラマンクはその中心人物とみなしていましたから、ちょっと敬遠気味でした。しかし、今回の展覧会は、ヴラマンクを系統的に観て、自分なりの評価を固める好機と考え、出かけてみることにしました。


セザンヌのような構成感
結論から言えば、ヴラマンクをすっかり見直してしまいました。ゴッホ譲りの激しいタッチは終生変わりませんが、1910年頃にはフォーヴから離脱し、安定した構図と落ち着いた色調の絵を描くようになります。幾何学的な構成感は、セザンヌの影響とも言えますが、初期の1「室内」(1901)を観れば明らかな通り、ヴラマンクの天性のもののようです。23「セーヌ河畔の家並み」(1911)や25「ルーヴシエンヌ」(1912)などには、セザンヌにも勝るとも劣らない強靭な精神を感じます。


数多くの雪道の絵
また、道路と沿道の家並みを描いたX字型の構図を好んだようで、本展でも数多く出展されています。雪道を描いた51「雪に覆われた村の道」(1922)や54「オーヴェール=スュル=オワーズの雪」(1924)*1が印象的でした。どの絵も同じような構図で、一見単調なのですが、雲の垂れ込めた空の表情が豊かで、見飽きることがありません。


空の画家
実際、ヴラマンクは、空を描くことが好きだったようで、暗い空を描いても、どこかに光が差す明るい部分があります。本展の広報にも用いられている77「雷雨の日の収穫」(1950)では、遠近法の消失点の彼方の空だけが明るんでおり、宗教的な荘厳さを感じさせる絵になっています。「空の画家」と呼んでもいいかもしれません。


ヴラマンクの眼
ヴラマンクは生涯に2点しか自画像を描かなかったそうですが、そのうちの1点が45「自画像」(1920)です。大きなどんぐり眼*2をぎょろりと剥いています。この眼で、景色の中から構図と色彩を抉り取っていたのでしょう。ヴラマンクの墓碑には、「私はついぞ何も自ら求めなかった。人生が私に全てを与えてくれた。私は自分になしえたことをなしとげ、自分が目にしたものを描いた。」という彼の遺言の一節が刻まれているということです。

本展は、6月29日に終了した後、7月9日から大分県立芸術会館、10月3日から鹿児島市立美術館に巡回するようです。九州在住で、ヴラマンクに興味のある方には、ぜひお勧めしたいと思います。

*1:ヴラマンクのアトリエに掛けてある写真が展示されていましたので、ヴラマンク自身も気に入っていた絵なのでしょう。

*2:図録の解説によると、ヴラマンクの容姿は、「磁器の目をしたブロンズの巨人」と形容されていたのだそうです。