ショルティのシュトラウス

先週の続きで、ショルティのCDを聴く。まずは、シュトラウスの「英雄の生涯」。初期録音ではないが、なぜか今まで買いそびれていた名盤だ。この演奏の聴きどころは、「英雄の戦場」のような激しい場面ではなく、「英雄の敵」と「英雄の妻」である。前者は、ヴィーン・フィルの木管群が「さすが、ヴィーン人、地でやっているのではないか。」と思わせるほど陰険な響きをたてる。後者は、コンサートマスターのライナー・キュッヒルの独奏がつややかで美しい。私は、「英雄の生涯」は、マゼール指揮クリーヴランド管弦楽団のあざとい演奏を最も好むが、このショルティやライナーもよい。「英雄の戦場」に限っては、バレンボイム指揮のシカゴ交響楽団の演奏が、ショルティがシカゴを振って録音してくれていれば、という渇を癒してくれる*1

もう1枚は、1949年録音の「ハーリ・ヤーノシュ」と1952年録音の「エレクトラ」抜粋を収めたCDである。「ハーリ・ヤーノシュ」は、ロンドン・フィルとのハイドンの3ケ月前に録音されており、ショルティの初めての大曲の録音である。レコード会社は、ショルティには珍しく、ドイツ・グラモフォンだ。ショルティの自伝では、この録音については触れられていないので、選曲が彼自身によるものか、レコード会社の指定なのかはわからない*2。しかし、ショルティは、この曲に特別の思い入れがあったようで、再録音を繰り返している*3。恩師コダーイの代表作を鉄のカーテンの向こうから救い出したい、という気持ちもあったろうし、何より、祖国を失ったショルティ自身の望郷の念が込められているのではないだろうか。そう思って聴くと、第5曲「間奏曲」が感動的だ。

エレクトラ」は、ショルティバイエルン州立歌劇場の音楽監督を辞して、フランクフルト州立歌劇場へ移る直前の録音である。ショルティは、バイエルン在任中の1949年に、亡くなる直前のシュトラウスから直接薫陶を受けているので、バイエルン時代の締め括りとして「エレクトラ」を選んだのだろう*4エレクトラの長大な嘆きの独白、クリテムネストラとの憎悪に満ちた応酬、オレストとの再会の3つの場面が抜粋で収録されている。エレクトラは、往年の大歌手クリステル・ゴルツだが、むしろ、クリテムネストラのエリザベート・ヘンゲンの歌唱の方が印象に残る。ショルティは、この15年後に、ヴィーン・フィルを指揮してようやく全曲録音を果たす。
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*1:私は、1992年3月に米国ミシガン州の片田舎アンナーバーで、バレンボイム指揮シカゴ交響楽団の演奏会を聴いた。そのときのプログラムは、「ドン・ファン」「ティル」「英雄の生涯」というとんでもないものだった。シカゴの猛者たちは、前半でもまったく手抜きをせず、パワー全開。「こんなに飛ばして、メインで息切れしないのか。」と心配したのは杞憂以外の何物でもなく、メインでは、さらに音量・音圧が上がった。「英雄の戦場」では、まさにドカーン・バリーンという大音響を炸裂させ、腰が抜けそうになった。恐ろしいオーケストラである。CDの演奏は、その片鱗を垣間見せる。

*2:当時のドイツ・グラモフォンは、指揮者陣にフルトヴェングラーフリッチャイを擁していたので、彼らが録音していないもの、という指定はあったかもしれない。

*3:1955年ロンドン・フィル、1993年シカゴ響、1995年ヴィーン・フィル。

*4:このCDのジャケット写真は、ショルティの「ばらの騎士」のリハーサルをシュトラウスが訪れたときのものである。ショルティは、大指揮者・大作曲家を前に緊張した面持ちだ。9月8日にシュトラウスが亡くなった後、ショルティは、葬送で「ばらの騎士」第3幕の三重唱を指揮する。