「蝶々夫人」
今日は、妻といっしょに初台へ「蝶々夫人」を観に行く。何を隠そう、「蝶々夫人」の公演を観るのはこれが初めてである。上演機会の多いオペラだが、これまで、何となく選り好みをしているうちに、今日まで一度も観ることがなかった*1。
まずまずの公演だった。標題役の岡崎他加子は、初めて聴くソプラノだが、第1幕では15歳、第2幕では18歳の蝶々さんには見えない、という点を除けば、安定した歌唱を聴かせた。ピンカートンのジョゼッペ・ジャコミーニも立派な歌だったが、いかんせん、ピンカートンは、オペラ史上「椿姫」のアルフレードと並んで、男の風上に置けない下司なので、共感を覚えにくい。損な役である。シャープレスのクリストファー・ロバートソンがアメリカ人の「善意」を体現し、内山信吾が卑屈な女衒ゴローを好演した。
栗山民也の演出は可もなく不可もなく、といったところ。抽象的な舞台装置は陳腐だが、嫌味を感じさせるほどではなかった。ピンカートンが登場する場面で、硫黄島の頂上の如く星条旗をたなびかせるのは感心しない。この作品で日本情緒を強調すべきでないと考えるのであれば、アメリカも意識すべきではないだろう。宮本亜門の「ドン・ジョヴァンニ」のときにも感じたが、星条旗の発する負のメッセージが強すぎる。
やはり、プッチーニのオペラの主役は管弦楽だ。ひたすら甘美で扇情的な音楽を奏でる。ピットの東響が重厚な響きを聴かせた。指揮の若杉弘は、カーテンコールで足元が覚束なく、衰えを感じさせる。