「善き人のためのソナタ」

朝、娘たちは、小学校の釣部の合宿に出かけた。夕方、卒業を明日に控えた妻は、謝恩会にいそいそと出かけていった。一人取り残された私は、映画でも観に行こうと思い立つ。前から観たかったドイツ映画「善き人のためのソナタ」である。川崎まで出て、チネチッタに行く。

苦い映画だ。題名や予告編が想起させる、美しいピアノ曲が「体制の手先=悪しき人」を善導しました、というようなヒューマンドラマを期待すると裏切られる。ここには、ヒーローもヒロインも登場せず、絶対悪のアンチ・ヒーローも登場しない。映画的なカタルシス微塵もない。描かれるのは、重く陰鬱な現実だけだ。しかし、私は、こういうドイツ映画の淡々とした辛口の演出を好む。

原題は「DAS LEBEN DER ANDEREN」。直訳は、「他人の生活」だ。英語だと「THE LIFE OF THE OTHERS」というところか。パンフレットの解説によると、旧東ドイツで「THE OTHERS」は「あちら側の人」すなわち反体制派を意味したのだという。

邦題となった「善き人のためのソナタ」は、演出家イェルスカが劇作家ドライマンの誕生祝に贈るピアノ・ソナタに由来する。上述の通り、この曲自体は、映画の中でそれほど重要な役割を担っていない。ヴィースラー大尉は、この曲だけで国家保安省を裏切ることになるほど単純で脆弱な人物ではない。正直、演奏時間も短く、現代音楽のように愛想なしなこの曲を称して「この曲を本気で聴いた者は、悪人になれない。」と「裸の王様」の仕立屋のようなことを言われても、はあそうですか私は悪人ですか、と言うほかない。

劇中、「善き人のためのソナタ*1は2つ登場する。イェルスカがドライマンに贈ったピアノ・ソナタとドライマンが書いた本だ。しかし、その題名は微妙に異なる。前者は、「SONATE VOM GUTEN MENSCHEN」、後者は、「DIE SONATE VOM GUTEN MENSCHEN」。前者は「善人ソナタ」といった感じの曲名であるのに対し、定冠詞のついた後者は、「あの善人のあのソナタ」という強調を感じさせる。ドライマンがどういう気持ちでこの題号を選んだのか、この映画を観た人にはわかるだろう。

*1:「SONATE FÜR GUTEN MENSCHEN」ではないので、「のための」は意訳に過ぎるだろう。ずいぶん説明臭くなってしまう。