「曽根崎心中」

夜、文楽の地方公演を観る。新宿駅で長女と待ち合わせ、二人で新小岩江戸川区総合文化センターに行く。新小岩は、独身時代の最後に5ケ月ほど住んでいたところだ。しかし、店も入れ替わっていて、あまり懐かしさを感じなかった。

開演前に、地方公演の慣わしで、呂勢大夫、龍聿、清五郎がそれぞれ太夫、三味線、人形の解説をする。いずれも軽妙な語り口で、文楽の魅力を簡潔に伝えてくれる。

解説の後、「曽根崎心中」が始まる。1月に露天神社を訪れて以来(写真は、露天神社境内のお初・徳兵衛像)、観たいと思っていた作品だ。床本に目を通すだけでなく、近松の原作も読んでおり、期待が高まる。

「生玉社前の段」浄瑠璃は、三輪大夫と清志郎。人形は、簑助(お初)、勘十郎(徳兵衛)、玉志(九平次)。何と言っても、簑助*1の遣うお初が艶っぽい。九平次の奸計にはまった挙句、袋叩きにされ、身も心もぼろぼろになる徳兵衛を勘十郎が力演する。

天満屋の段」浄瑠璃は、切語りの嶋大夫と清介。嶋大夫は、先日の「妹背山」の「金殿」で切を聴いて以来、二度目だ。美声とは言いがたいが、味わいのある語りだ。縁の下の徳兵衛がお初の足先で自らの首を斬る仕草で自害の決意を伝える場面は、息を呑む緊迫感だ。近松の原作といい、それを可視化した文楽といい、江戸人の独特な美意識を感じる。

「天神の森の段」浄瑠璃は、呂勢大夫(お初)、文字久大夫(徳兵衛)、呂茂大夫(ツレ)、錦糸、清志郎、龍聿。掛け合いなので、床は賑やかだ。簑助と勘十郎は、出遣いになる。玉男亡き後、この師弟が当代最高のお初・徳兵衛だろう。凄艶な死出の道行を演じていく。原作では、露天神社の棕櫚の木にお初を縛りつけるが、文楽では、帯で二人の体を結び合わせる。観客席に背を向けたお初の正面に立ちはだかった徳兵衛が脇差を振り上げ、喉を突き刺す。続いて、自らの喉も掻き切り、お初の上に倒れ掛かって、二人とも絶命する。凄惨な幕切れである。早すぎる観客の拍手が惜しまれるところだ。

期待通りの公演だった。長女に感想を尋ねると、「うーん、『染分手綱』の方がよかったかな。」という消極的なものだった。中学生にしてみれば、心中物よりも親子の離別の方が理解しやすいのは無理もない。

新小岩駅までバスで戻り、総武線・中央線・小田急線・南武線と乗り継いで帰宅する。家に着いたのは23時だった。中学生にはとんでもない夜遊びになってしまった。
曾根崎心中・冥途の飛脚 他五篇 (岩波文庫)

*1:報道によると、2日前の3月18日に、フランス政府から芸術文化勲章コマンドゥール」を授与されたということだ。栄誉に敬意を表したい。