「父親たちの星条旗」*4

午後から雨になった。こういう日は映画だということで、「父親たちの星条旗」を新百合ヶ丘に観に行くことにする。アメリカでのレーティングを調べると「R」だったので、ちょっと迷ったのだが、思い切って娘たちも連れていくことにした。長女は、「アメリカ人が作った太平洋戦争の映画なんか観るのはいやだ。」と抵抗したのだが、何とか説得した。毎度手間のかかる奴だ。

いい映画だった。この映画は、当初、スティーヴン・スピルバーグが映画化権を獲得していたという。もし、彼が監督していたら、もっと劇的であざとい映画にしたことだろう。ちょうど、「プライベート・ライアン*1がそうであったように。クリント・イーストウッド*2は、戦場の惨状も本土の悲喜劇も辛口の筆致で淡々と描いていく。「安全な観客席に座りながら、ノルマンディ上陸作戦追体験できるなんて凄いでしょう。」というスピルバーグとは製作姿勢が根本的に違うと言えるだろう。戦争を否定も称揚もせず、ただ「現実はこういうものだ。」と冷徹に提示する強靭な知性に共感する。ストーリーは、硫黄島の戦場と戦時国債キャンペーン・ツアーと現代の間を行きつ戻りつするので、娘たちにはわかりにくかったようだ。しかし、我々の「父親たち」がどんな国と太平洋戦争を戦ったのかを理解することはできたに違いない。

観終わった後、次女に「大丈夫だった?」と尋ねた。身体分離・欠損表現もあったので、ちょっと心配していたのだが、「疲れた。」の一言だけが返ってきた。どうやら大丈夫だったようだ。私に似て突発的な大音響に弱い長女は、耳を塞ぎっぱなしで、ポップコーンもろくに食べられなかったという。字幕版でよかったね。

何と、パンフレットが売り切れで手に入らなかった。予想以上の客足だったらしい。どこかの劇場で手に入れなければなるまい。

硫黄島からの手紙」も家族で観に行くことにしよう。

私は、1992年の夏、ワシントンD.C.に1ケ月滞在していた。そのとき暮らしていたマンションの真向かいに、この映画にも登場する巨大な硫黄島記念碑が立っていた。写真は、滞在中に撮影した海兵隊軍楽隊による「サンセット・パレード」の様子である。

*1:冒頭20分のオマハ・ビーチの上陸戦の描写によって、戦闘表現の新境地を開拓した功績は大きいが、映画の内容そのものは、英雄的なアメリカ軍が邪悪なドイツ軍を撃破するという典型的アメリカ戦争映画である。最後に主人公たちが窮地に陥ったとき、突如飛来するP-51戦闘機は、デウス・エクス・マキナ以外の何物でもなく、ずいぶん白けさせてくれたものだ。

*2:心に沁みる主題曲は、監督自らの作曲による。