川崎のYS-11

妻が同窓会に出かけたので、娘たちと外出する。疲れていても、じっとしていられない性分だ。9月のYS-11の退役を機に、宮崎台の「電車とバスの博物館」に保存されているYS-11を見に行くことにする。同博物館が高津にあった頃、一度見に行ったことがあるが、宮崎台に移設されてからは初めてだ。現在、国内で保存・一般公開されているわずか9機のYS-11のうちの1機が川崎市内にあるのだ。しかも、操縦室に常時立ち入ることができるのは、ここだけである。

溝口の丸井1階の「アンデルセン」で腹ごしらえをしてから、田園都市線宮崎台駅まで行く。改札口の正面が博物館の入口だった。YS-11が展示されているイベント館は、裏口から出て道路を渡ったところにある。果たして、イベント館の一番奥にYS-11が待っていた。JA8662(製造番号2022)「なると」である。「なると」は、1966年5月の就役後、1988年1月10日、東亜国内航空670便として、鳥取県美保飛行場の滑走路25を離陸滑走中オーバーランし、宍道湖・中海に突入・中破、乗客8名が軽傷を負うという事故を起こして登録抹消になった機材である。機首部分だけが切り離されて、子供向けのフライトシミュレータとして、ここで余生を送っている*1

順番待ちをして、次女を機長席に座らせる。緊張した面持ちだ。副操縦士席に座わった係のおじさんの指示に従い、操縦桿やスロットルレバーを操作する。「なると」は、(副操縦士の指示による)機長の的確な操縦により、4分間のデモフライトを終え、飛行場に無事着陸した。操縦室内は、操縦席前のアナログ計器がCRTディスプレイになっていたり、扇風機が取り付けてあったりするほかは、ほぼ原型を保っているようだった。外から見ると、前脚も保存されているが、格納庫扉は失われている*2

国土交通省(当時運輸省)の航空事故調査報告書によると、凍結・氷着により昇降舵操舵が重くなり、機体引き起こしができないとの乗員の判断のもと、離陸断念操作を行うも、離陸滑走時速度V2を超える高速であったため、滑走路内に停止できなかったことが事故原因とされている。この操縦室で実際に操縦が行われたのは、この事故のときが最後だろう。突入寸前まで、回避行動を取ろうとした機長や副操縦士の緊迫したやりとりが聞こえてくるようだった。

その後、博物館内を見て回ったが、男の子か、東急電鉄の電車やバスに思い入れがある大人でないと、ちょっと楽しめない展示内容だった。早々に引き揚げる。YS-11の実機の一部、それも操縦室に立ち入ることができて、満足であった。

*1:胴体部分は、鳥取県湖山町の国道9号線脇に遺棄されているという。

*2:事故の際に欠損したのだろう。