YS-11の旅

福岡空港のコンコースを延々と歩き、第1ターミナルのJACのチェックインカウンタでスーツケースを預ける。ハットラックしかないYS-11にはスーツケースを持ち込めないのだ。使用機材を確認するとYS-11とのことで、安心する。悪天候による欠航であれば、運賃の払い戻しを受けられるからまだいいとしても、機材変更だけは勘弁してほしいと、切に願っていたのだ。

出発ロビーで搭乗開始を待つ。売店でレンズ付フィルム(使い捨てカメラ)を買う。機内ではデジカメが使えないからだ。25枚撮りにするか40枚撮りにするか迷ったが、200円ほどしか違わなかったので、40枚撮りにする。

9時過ぎにいよいよ、鹿児島行きJAC3643便の搭乗開始。搭乗口の14番ゲートは、地上へ降り立つようになっている。そこに待っていたのは、JA8768「りくちゅう」*1だった。奇しくも、今日、満36歳の誕生日を迎えた機材だ。隣には、JA8717「あそ」*2がエンジン始動準備中だった。9:20発高知龍馬行きJAC3581便になるようだ。ようやく念願かなって、YS-11に搭乗できる。純白の機体には「ありがとう日本の翼 YS-11」という特別塗装が施されている。搭乗してしまうのが惜しくて、機体の脇で写真を撮る。横を全日空のJA02NA(B737-781)がタキシングしていく。今年1月に就航したばかりのゴールドジェット2号機だ。初めて間近で見る。

11段のタラップを登って搭乗する。座席は2ABと4CDだ*3。長女と私がプロペラの前の2列、妻と次女がプロペラの後ろの4列に座る。機内は、丸い蛍光灯の天井灯や列車の荷物棚のように蓋のないハットラックがレトロな雰囲気を醸し出している。ここからは、空港で買ったレンズ付カメラが活躍する。

9:23スポットアウト。やがてロールス・ロイス製ダート542-10J/Kエンジンに点火され、プロペラが鋭い音をたてて回転し始める。プロペラの直前の席だけあって、振動が伝わってくる。長女が「パパ、この飛行機、しびしび言うよ。」と情けない表情で言う。E3誘導路からRWY16に到着すると、ローリングテイクオフで滑走開始。優れたSTOL性を誇るYS-11だけあって、あっと言う間に舞い上がる。9:30離陸。左旋回して南下を始める。右翼を見ると、ぴんと伸びてびくともしない。頑健な機体剛性を感じさせる。

9:38筑後川を渡り、久留米上空を通過。大きな街だ。ベルトサインが消えたところで、機体後部のトイレに行ってみる。陶器の洗面台が古風だ。やがて島原湾の上に出る。9:58天草五橋、10:05川内川の河内ダムと順調に南下していく。客室常務員が「YS-11搭乗証明書」や絵葉書を配り始めたので、ありがたく全部頂く。飛行高度を尋ねると(スカイマップのような情報モニタはない)、「高度はFL120、速度は400km/h。」とのことだった。富士山より少し低い高さ(約3,658m)を飛んでいることになる。

桜島が右に見えてくる。荒々しい山容だ。間もなく鹿児島空港に到着である。10:18鹿児島空港RWY34に着陸。10:20、沖合いの11R駐機場にスポットイン。わずか48分間の飛行であったが、十分満足した。タラップを降りて、バスに乗車する。ターミナルに到着してから振り返ると、タンクローリが横付けして航空燃料の搭載作業を始めていた。休む暇もなく、10:45発福岡行きJAC3648便として折り返すのだろう。この機材も、あと1ケ月余りで、日本の空から姿を消してしまう。

*1:製造番号2147。YS-11A-222として製造後、設立間もないボーラクインドネシア航空に引き渡され、PK-IYSとして約10年間、インドネシアの空を飛んだ。1981年1月にJA8768として再登録され、東亜国内航空(後に日本エアシステム)・日本エアコミューターと運用されてきた。東亜国内航空時代に、最大離陸重量を増加した11A-500型に改修されている。数少ない「里帰り」YS-11である。

*2:製造番号2092。日本航空時代、福岡・釜山線に投入されており、日本国籍YS-11では唯一の国際定期路線就航機である。

*3:座席予約の際、プロペラの真横で窓がない3列席を避けた。