ロダンとカリエール

上野の国立西洋美術館でやっている「ロダンとカリエール」展が今日までなので、家族で出かけることを提案したが、レポートや宿題を抱えている妻と長女の賛同を得られない。やむなく、次女と二人ででかけることにした*1

南武線で川崎まで行き、京浜東北線の快速に乗り換えて、上野まで行く。美術館のレストランで昼食をとってから、展覧会を観始める。

今日の目当てはウジェーヌ・カリエールだ。これまで、あちこちの美術館で見かけ、その茫洋とした幻想的な画風が気になっており、一度系統的に観てみたいと思っていた画家である(そのわりには、例によって会期最終日に出かけているが)。カリエールの描く人物は、半ば背景に溶け込んで、存在感が希薄だ。母子愛を描いた作品が多いが、メアリー・カサットのように明るく賛美することもなく、「母性」(1892)などは、幼児の命のはかなさを感じさせてしまう。巨大な三部作*2「もの思いにふける若い娘」(1902)、「道行く人々」(1896)、「一人の女性」(1894)に描かれる人々は、生者と死者の境を彷徨う影法師のようだ。これほどはかない絵を描いた画家も珍しいだろう。

生前、交友があったということで、ロダンの作品と対比されているが、およそ作風は異なる。唯一、相通ずるものを感じさせたのは、「母親と死んだ娘」(1910)だ。母親の底知れぬ悲嘆をロダンらしからぬ柔らかい曲線で大理石に刻み込んでいる*3

企画展を観終わった後、本館の常設展へ行き、1階に展示してあるロダンの彫刻を観る。新館1階の「印象派後の諸傾向」のコーナーには、カリエールの「母と子」(制作年代不詳)が展示してあった。建物から出て、前庭に展示してある「地獄の門」(1890)を観て終わりとした。

次女と上野公園の中を散策する。小高い丘(大仏山というのだそうだ)の上に、「上野大佛」の顔面が保管されていた。関東大震災で首が落ち、顔面だけが太平洋戦争を生き延びたのだという。高さ1.5mくらいの青銅の顔面が壁面に貼り付けたまま野晒しになっており、あまり敬意が払われているようには見受けられなかった。

不忍池の方へ足を伸ばす。水面は蓮の葉で覆われていた。弁天堂にお参りする。湯島から千代田線に乗り、小田急線経由で帰る。

*1:無論、次女は展覧会に興味はなく、私と出かければ、道中「nintendogs」ができるという下心に違いあるまい。

*2:もともとは「一連の壁面装飾」として構想・制作されながら、現在は、新潟、オタワ、パリに分散しており、この展覧会で初めて並置されたという。

*3:未完成作品とのことだが、これ以上何もいらないと思わせる。