「アバドのマーラー」

深夜帰宅し、夕食をとりながら、テレビのチャンネルを切り換えていると、「アバドマーラー」という字幕が出た。病気で見違えるほど痩せたクラウディオ・アッバードが登場する。2005年8月のルツェルン音楽祭の実況録画らしい。にこにこしたアッバードの表情から、第1交響曲でもやるのかと思っていたら、交響曲第7番の字幕が出てたまげた。嫌な予感通り、以降、軽薄な演奏が展開されていった。マーラーの第7に聞こえないどころか、マーラーにすら聞こえないという珍しい演奏だ*1プッチーニ交響曲を書いたらこんな曲になったのではあるまいか。

凡庸な第1楽章、ひたすら明るい第2楽章、ひたすら軽い第3楽章、能天気な第4楽章を経て、第5楽章へ突入。ここまでの演奏で容易に想像できたが、テンポが異様に速い。冒頭でティンパニ金管が派手にずれても、幸福そうに微笑みながら指揮を続けるアッバードに首席奏者たちが危機感を覚えたか、表情が変わった。しかし、寄せ集めオーケストラのアンサンブルは終始ずれ気味で、いつ惨事が起こるかと、なかなかスリルに富んだ演奏だった。終演後、楽員たちが笑みを交わしていたのは、「お互い、破綻せずに何とか最後の音符に辿り着けてよかったなあ、おい。」という安堵感によるものだろう。

聴衆の拍手も儀礼的で、ブラヴォーよりもブーの方が大きい。拍手をせず、首を横に振っている聴衆の姿も映し出されていた*2。公共放送の電波に乗せるような実況録画ではなかったと思うが、NHKも映像を買ってしまった以上、放映せざるを得なかったのだろう。

しかし、アッバードはどうなってしまったのか。彼がシカゴ交響楽団を指揮した第7(1984年1・2月録音)は、マゼールベルティーニと並んで、好きな演奏のひとつなのだが*3。かつては愛聴した指揮者*4の衰えた姿を見るのはつらい。その点、ゲオルク・ショルティは、晩年まで衰えをまったく見せず、1995年9月5日の訃報が信じられなかった*5

今年秋に、アッバードはルツェルン祝祭管弦楽団を率いて来日し、マーラーの第6をやるそうだ。ご同慶の至りである。

*1:マーラーに聞こえない第7ということだと、1998年6月2日にタケミツメモリアルで聴いたサイモン・ラトル指揮のバーミンガム交響楽団の演奏は、モーツァルトのような清澄な演奏で、作曲後1世紀近くたって、この曲も古典の仲間入りしたことを実感したものだ。

*2:カメラマンのささやかな意思表示だろう。

*3:実は、第7は、オットー・クレンペラー盤(1968年9月録音)が他を寄せ付けない圧倒的名演で、あとはいかなる演奏も色褪せる。先日、ベートーヴェンの第7で「ひとりの演奏家の録音が他を絶するという曲は、ほかに思いつかない。」と書いたが、マーラーの第7を忘れていた。http://d.hatena.ne.jp/Wilm/20060402 マーラー:交響曲第7番

*4:1981年9月11日のミラノ・スカラ座とのヴェルディ・レクイエム、1983年5月17・19日のロンドン交響楽団とのマーラー第1・第5、1989年11月14日のヴィーン・フィルとのブルックナー第4は、いずれも記憶に残る名演だった。

*5:ちょうど引越しの最中で新聞が読めず、数日後に訃報を発見して愕然としたのを覚えている。