ダナエの愛
シュトラウスの晩年のオペラ「ダナエの愛」の日本初演を新宿文化センターに聴きに行く。娘たちは留守番である。
初めて聴くオペラだったが、すばらしい曲のすばらしい演奏であった。黄金に触発されたダナエの打算的な愛が、主神ユピテルの誘惑にも揺るがない真実の愛に変わっていく様を、シュトラウスの円熟した音楽が雄弁に綴っていく。ホフマンシュタールの原作*1に基づく台本なので、「エレクトラ」から「アラベラ」に至る一連のシュトラウス・ホフマンシュタール協業の系譜につながる作品でもある。シュトラウスが作曲した最後の豪奢な曲*2だけに、存命中に初演できなかったのは、さぞかし無念だったことだろう。欧米でも上演の機会が少ないようだが、見直されてもよい曲だと思う。
主役の3人は、いずれも名唱だった。ダナエの佐々木典子は、今や大倉由紀枝と並んで日本を代表するソプラノだ。美しい声でダナエの心の変化を歌い上げていく。彼女の歌でシュトラウスの遺作「最後の4つの歌」をぜひ聴いてみたいものだ。ミダスの大野徹也も朗々とした歌を聴かせる。ユピテルの久保和範は、最初のうちは少し固かったが、欲情と嫉妬に右往左往する世俗的な神様を力演した。
演奏会形式の上演なので、若杉弘指揮の新日本フィルは舞台上で演奏した。楽員は誰ひとり演奏したことのないであろう曲の1回限りの公演だが、難曲・大曲に挑む伝統のあるオーケストラだけに、余裕をもって演奏していた。唯一最大の不満は、本式のオペラ上演でやってほしかったことだ。若杉が初台の芸術監督に就任した暁には、舞台にかかることを期待したい。
これで、今日のような演奏会形式も含めて、シュトラウスのオペラ15作品中10作品の上演を聴いたことになる。残るのは、「グントラム」「火の欠乏」「影のない女」「平和の日」「ダフネ」の5作品だ。「影のない女」以外の4作品は、日本ではまだ上演されていないはずなので、「初演魔」若杉に手がけてもらうしかないだろう。中期の傑作「影のない女」も、日本人による上演を観てみたいものだ。*3
シュトラウスのオペラ15作品は以下の通りだ。
作品名 | 台本 | 作曲年代 | 初演年月日 | 初演地 |
---|---|---|---|---|
グントラム | シュトラウス | 1887-93 | 1894.5.10. | ヴァイマール |
火の欠乏 | ヴォルツォーゲン | 1900-01 | 1901.11.21. | ドレスデン |
ザロメ | ワイルド | 1904-05 | 1905.12.9. | ドレスデン |
エレクトラ | ホフマンシュタール | 1906-08 | 1909.1.25 | ドレスデン |
ばらの騎士 | ホフマンシュタール | 1909-10 | 1911.1.26. | ドレスデン |
ナクソス島のアリアドネ | ホフマンシュタール | 1911-16 | 1916.10.4. | ヴィーン |
影のない女 | ホフマンシュタール | 1914-17 | 1919.10.10. | ヴィーン |
インテルメッツォ | シュトラウス | 1919-23 | 1924.11.4. | ドレスデン |
エジプトのヘレナ | ホフマンシュタール | 1924-27 | 1928.6.6. | ドレスデン |
アラベラ | ホフマンシュタール | 1930-32 | 1933.7.1. | ドレスデン |
無口な女 | ツヴァイク | 1932-35 | 1935.6.24. | ドレスデン |
平和の日 | グレゴール | 1935-36 | 1938.7.24. | ミュンヒェン |
ダフネ | グレゴール | 1936-37 | 1938.10.15. | ドレスデン |
ダナエの愛 | グレゴール | 1938-40 | 1952.8.14. | ザルツブルク |
カプリッチォ | クラウス/シュトラウス | 1940-41 | 1942.10.28. | ミュンヒェン |
記録を調べて気づいたが、今日は、結婚以来、妻と行った40回目のオペラ公演だった。40回中、ヴァーグナーが13回、シュトラウスが11回というのは、明らかに私の嗜好を反映した結果だ。3・4位は、一気に下がってプッチーニの4回、モーツァルトの3回である。結婚当初はオペラ初心者だった妻は、私の偏向教育のよろしきを得て、今はいっぱしのヴァグネリアンである。