稲城の探検

娘たちと私は、その足で稲城に探検に出かけることにする。前から、稲城の崖線の探検をしたいと思っていたのである。レポートの山を抱えた妻は一人帰宅する。稲田堤で京王線に乗り換え、京王よみうりランド前で降りる。

まず、威光寺の弁天洞窟へ行く。ここは、横穴式古墳だった洞穴に弁財天や大日如来を祀っているのである。受付で拝観料(大人300円、子供200円)を納めると、竹べらの先に取り付けた蝋燭、マッチ、懐中電灯を貸してくれる。洞窟の入口で蝋燭に火を灯す。中は照明がないので、真っ暗である。蝋燭の明かりも心元ないので、懐中電灯が重宝した。洞内は、道が入り組んでいる。ところどころ、壁をくりぬいて石仏が祀ってあったり、石造りの大蛇がこちらを睨んでいたりした。小さな池もあり、ちょっとした鍾乳洞のような雰囲気だ。娘たちは前をすたすた歩いていくが、私は何度か低い天井に頭をぶつけた。もっとも、土か、せいぜい砂岩のようだったので、直下型地震が起きたら落盤するのではないかと思うと、なかなか怖い洞窟探検であった。

続いて、妙覚寺の脇の道から南山に登っていく。墓地の横を通り、さらに五百羅漢像のような無縁仏群の脇を登り詰めると、尾根筋に出た。ところどころに、基部に梵字を刻んだ十三塔が立っており、ひとりで来るのはあまり気分がよくないだろう。小型旅客機と思しき飛行機が立て続けに上空を通過する。よみうりランド調布飛行場の目視位置通報点(VRF:Visual Reporting Point)になっているので、調布飛行場への進入路の直下だったようだ。最初の機体の写真を撮る。*1

尾根道を途中で外れて崖線の上に出る。東は新宿副都心から西は奥多摩の山々まで180度の展望が広がる。双眼鏡で景色を観ていると、真北の西武ゆうえんちの観覧車のところで手が止まった。彼方に雪山が見える。さらに右を見ていくと、かなり大きな山塊が見える。方角から、上越国境、赤城山、日光男体山のいずれかだろうと見当をつける。直線距離で100〜150kmはあるので、かなり空気が澄んでいたようだ。*2

尾根道を進んでいくと、両側とも山が深くなり、低山歩きの雰囲気になった。同時に、携帯電話を持ってこなかったことが、少しだけ不安になった。尾根道が少し下り、よみうりカントリークラブのコースに行き当たる。右の道を辿る。雑木林の道は、人里の気配がまったくない。次女は、「パパ、私たち遭難しているの?」と不安そうである。やがて谷戸に畑が広がり、ようやく人のいるところに辿り着いたという感じがする。途中で振り返ると、稲城の崖線が堂々とした表情で聳えていた。

人里に下りたところにチェーンが張ってあり、「私有地につき立ち入り禁止」と札がぶら下がっている。こちら側からは登れないらしい。長女が「パパ、私有地で遭難したら無茶苦茶格好悪いね。」と言う。ええい、一度も道を外さず、遭難などしておらんだろうが。道を下っていくと、稲城の駅前に出る。腹をすかせた娘たちにコンビニでおやつを買って、ベンチで食べさせる。

コンビニの裏に武蔵野線の貨物線が見える。ダイヤも閑散としているだろうから、貨物列車も通るまいな、と思っていたら、いきなりEH200がタンク車を牽引して現れ、府中本町方面へ疾走して行った。慌ててカメラを取り出して写真を撮るが手ブレた。娘たちのおやつが終わり、稲城駅に渡るために横断歩道の信号待ちをしていたら、今度は、鶴見方面への貨物列車がやってきた。電気機関車の型式を確認する間もなく通り過ぎていった。こんなに頻繁に武蔵野線の貨物列車を見るとは思わなかった。

稲田堤で南武線に乗り換え、そのまま武蔵溝口まで行く。長女のダウンジャケットを買う、という使命を妻から仰せつかっているのだ。丸井の店内を隈なく探すが、泥だらけにしても平気なもの、という長女の過酷な要求仕様に適う品はない(普通、ないだろう)。仕方がないので、イエローサブマリンに寄って、タカラの連斬模型シリーズ「男たちの大和」の7個セットを買う(誤解のないように申し添えるが、決してこれが主目的で溝口に来たわけではない)。「大和」の紙袋を抱えてみると、これだけ買ってきました、というのは、さすがに妻に申し開きできんな、と思いが至る。最後の望みを託して、隣のNOCTYの無印良品に行く。幸い、長女のお気に召すダウンジャケットがあった。危ないところだった。

帰宅後、「大和」を開封する。3,000円以上も出して、シークレットの架空艦を引き当てたりしたら、たまったものではない。かなり緊張する。出てきたのは、捷一号作戦時のものだった。長女が欲しがっていたものだ(夜戦用の黒色甲板が気に入ったらしい)。天一号作戦時でなかったので、ちょっと残念そうな顔をしたら、長女に「架空バージョンでなくてよかったじゃないの。」と慰められる。ポジティブ思考でなかなかよろしい。考えてみれば、天一号(菊水一号)作戦時の兵装は、大和ミュージアムの公式モデルで再現されているので、こちらは、捷一号作戦時でよかったのかもしれない。ハリネズミのような兵装の天一号作戦バージョンを作るのは骨が折れることだろう。*3

しかし、いろいろ調べものをしながらBlogを書いていると、調査対象にだんだん感情移入してきて、最初は全然ほしくなかった(またはほしいのを我慢していた)ものが俄然ほしくなってくる、というのは、Blogの弊害と言うほかない。

*1:帰宅後、写真を調べたら、最初の機体は、登録番号JA31CA、新中央航空神津島発調布行き306便のDo228-212であることがわかった。後続は、やはり新中央航空の新島発調布行き206便のDo228-212(JA32CA)らしい。この2機は、日本国内で運用されている唯一のドイツ製旅客機である。一度乗りたいと思っている機材だ。型式番号は、ドイツ空軍が第2次世界大戦中に運用した爆撃機Do217の末裔であることを窺わせる。

*2:帰宅後、ネットで東京から見える山を調べたところ、雪山は谷川連峰、山塊は赤城山だった。写真で、観覧車の後ろにかすかに写っているのが谷川連峰、その右隣の山塊の右端が赤城山である。

*3:と思ったのは大間違いだった。単装機銃が22丁もある捷一号作戦時の方が面倒くさそうだ。そのご褒美というわけでもないのだろうが、捷一号作戦時には、零式水上観測機と零式水上偵察機が付いている。