千曲川旅情

今日は、彼岸の墓参りに父の郷里の佐久へ行く。豊田から中央特快で東京駅まで行き、あさま509号の自由席に並ぶ。発車25分前なので、先頭だ。しばらくして妹と甥もやってきた。「私が8人分座席を取るから。」と豪語していたのは、どこのどいつだ。開扉後、8人分席を確保していると、両親もやってきた。10:00定刻に発車。久しぶりの列車の旅だ。

昨日の雨が嘘のように晴れ上がり、群馬県に入ると、赤城山榛名山の間に上越国境の山々が白く連なっているのが見えた。左側には、荒船山妙義山、そして前方に浅間山が見える。八ヶ岳の赤岳と思しき峰もわずかに頂を覗かせている。ほかの山々も同定できたら、もっと面白いだろうに。私が子供の頃は電気機関車が牽引した碓氷峠を自走であっと言う間に越えると、軽井沢には雪はない。ほどなく、佐久平に到着。小海線に乗り換える。佐久平では2両編成だったディーゼルカーは、中込で1両を切り離し、1両だけでゴトゴト走っていく。

12時過ぎに八千穂駅に着く。標高780mと表示した柱がある。駅前は、見違えるほど変わった、と言うか、ここに来たのはおそらく10数年以上前のはずだから、記憶がないと言うべきだろう。父の実家に向かう途中、孫を抱いて迎えにくる叔父に出会った。高崎に嫁いだ従妹が応援にきているらしい。千曲川の橋を渡る。南に八ヶ岳連峰が望める。赤岳北壁が厳しい表情だ。北には、雪を頂いた浅間山が東に噴煙を長くたなびかせている。長女に、「この千曲川は、日本一長い信濃川の上流なんだよ。」としたり顔で説明すると、「何で途中で名前が変わるの?」ともっともなご質問。「長野県では千曲川だけど、新潟県では信濃川になるのさ。」と答えになっていないことを言うと、「何で?」と畳み込んでくる。「何ででもさ。」と答えるしかなく、親の面目丸潰れなのであった。しかし、いったい何でなんだ?同じ道が場所によって府中街道だったり、川崎街道だったりするようなものなのか?

叔父が継いだ実家に着く。山菜のてんぷらや手打ちそばのおいしい田舎料理をご馳走になった後、墓参りに行く。父母、叔父、妹、甥、従妹の娘3人、そして我が家の計12人の一団だ。裏山を登っていくと、木立の中に墓石や墓標が点在している。山は死者の領分だ。まず、祖父母の墓に行く。墓標が二基並んでいる。墓碑銘を見ると、二人とも行年80歳だ。2歳違いだったのが、同い年になったわけだ。その後、戦病死した伯父の墓、家墓の順に参る。突然子孫が12名も墓参に訪れ、ご先祖様もさぞかし驚かれたことだろう。家墓の墓誌には、大正3年から平成13年の間に亡くなった23人の名前が刻まれていた。子供たちは、家墓の裏の斜面でフキノトウをどっさり摘んだ。家墓のあたりから見下ろす八千穂村は、季節のせいもあるのだろうが、何となく寂しげだ。そう言えば、町村合併で八千穂村の名前がなくなるかもしれないと叔父が嘆いていた。帰りがけに、日本民家園の佐々木家が建っていた場所を父に教えてもらう。今は新しい家屋が建っているが、実家のすぐ上だった。

実家に戻ってお茶を頂く。子供たちは、すっかり打ち解けて遊び始めた。初めて出会う又従姉妹どうしなのだが、血が呼び合うのか。17時半頃、実家を辞す。八千穂17:53発の小諸行きに乗り、佐久平で下車。乗継時間がだいぶある。18:54発のあさま528号はやはり満席だったので、座席予約してある19:14発566号に乗る。車内販売の駅弁は3食しか残っていなかったので、子供たちに食べさせた。20時半過ぎに東京に到着。中央線に乗り換え、新宿で両親、妹、甥と別れる。家に着いてから、東京駅で買った駅弁を食べる。ちょっと侘しい旅の終わりなのであった。