工作船と宗谷

近くのモスバーガーで遅い昼食。食後、今からでも遅くない、と台場へ行くことにする。横浜公園入口から横浜首都高に乗り、横羽線を北上し、昭和島JCT湾岸線に乗り換え、13号地出口で降りる。16時過ぎに船の科学館に到着。ところが「工作船見学15:55終了」との無情な貼紙。科学館の受付嬢に尋ねると「本日は終了です。遠目でご覧になりたければ、こちらからどうぞ。」とのつれないお返事だ。外に出てみると、囲いの中に置かれている工作船が見える。下の歩道からだと、かなり近くまで行けた。ところどころ青い塗料が残っているが、全体は赤茶色に錆びている。船橋、マスト、煙突などの上部構造物は、操舵装置の一部を残して、きれいさっぱりなくなっている。沈降の過程で脱落したのだろうか。船首には、巡視船の20mm機関砲の砲撃によると思われる穴がいくつもあいている。揺れる海上で火線を集中できた砲手の腕前はたいしたものだ。いずれにせよ、こういう偽装軍用船が日本海をうようよ遊弋しているのだから、由々しいことだ。

せっかくここまで来て、何もしないで帰るのも癪だし、さりとて、船の科学館の中を見て回る時間はなさそうだったので、南極観測船宗谷の見学をすることにした。券を買って乗船する。70年近く前に建造された老朽艦だが、艦内はきれいに整備されていた。ショップで買った資料ガイドによると、1936年に耐氷型貨物船として建造され、特務艦に改装されてからは度重なる雷撃・爆撃を奇跡的に生き延び、戦後は引揚船、灯台補給船として運用された後、1956年から1962年まで6次にわたる南極観測支援に従事し、それで終わりかと思うと、さらに1963年から1978年まで巡視船として北洋で働いていたと言うのだから恐れ入る。これだけ酷使に耐えて奉仕した以上、永久保存の栄誉が与えられてもいいだろう。私の年代だと、南極観測船はふじのイメージが強いが、こちらは、最初から南極観測用砕氷船として建造され、18年であっさり退役している。

何とか2つの「工作」を両立した。台場入口から首都高に乗り、レインボーブリッジ、浜崎橋JCT都心環状線、4号線と辿って、中央道調布ICで降りた。横浜から燃料警告灯が点きっぱなしだったので、途中で給油する。燃費を計算すると、今回は8.6km/l。BH5DはSOHCでも燃費がよくない。これだけがこの車の唯一の不満だ。