中華的不思議国探訪記(其参)

今日は一転快晴だ。薄く積もった雪がまぶしい。階段室から山が見えた。何となく、北京は平原の中のような気がしていたが、考えてみれば郊外に万里の長城があるのだから、北西に山並みが迫っているわけだ。

午前中にひとつだけ仕事を残している。ホテルをチェックアウトして、北京香挌里拉飯店(シャングリラ・ホテル)へ行く。燕山大酒店よりはるかに格式が高い。ラウンジで取引先の人と1時間ほど話をして、ようやく仕事が片付いた。タクシーに乗って故宮へ向かう。

北京は大都会だ。道路は広いし、建物も大きい。超高層ビルではないが、敷地面積が大きいので、容積が尋常ではない。まさに大楼閣という感じのビルがあちこちに建っている。しかも、まだいくらでも発展の余地があるというところが末恐ろしい。

軍事博物館やら工芸美術館やらを過ぎると、やがて天安門が見えてきた。歴史博物館の前でタクシーを降りる。今日は晴れているが寒い。氷点下10℃くらいか。まわりを見渡せば、天安門広場の広さや人民大会堂の大きさはただごとではない。地下道で道路をくぐり、聳え立つ天安門の前に行く。五星紅旗が風に翻り、毛沢東の巨大な肖像画が麗麗しく掲げられている。こういうところはやっぱり社会主義国のノリである。

天安門をくぐり、次の端門を抜けると、ようやく故宮博物院の入り口の午門が出てくる(これらは、「門」と称するのは謙虚すぎるほどでかいのだが)。入場料40元を払って先に進む。午門の次が太和門でその次が有名な太和殿だ。広場を埋め尽くす臣下たちを石段の上から見下ろす皇帝は、さぞかし世界征服感を味わったことだろう。続いて、中和殿、保和殿、乾清門、乾清宮、交泰殿、坤寧宮と大きな建物が入れ子式に次から次へと出てくる。こんなに広大な王宮は世界的に見ても稀なのではないか。この中を日常的に移動した皇帝や家臣たちは、まことにご苦労なことだ。御花園を抜け、裏口の神武門でようやく故宮から出る。あとで地図で調べたら、天安門からここまで約1kmである。

しかし、日本は、よくこんな国を征服できると考えたものだ。初めてアメリカを訪問したとき、その巨大さに圧倒され、対米戦争を始めたことの愚を思い知った(駐米武官の経験のある山本五十六元帥が開戦前に「半年か1年の間は存分に暴れてご覧に入れる。しかし2年3年となればわからない。」と語ったことの意味を理解した)が、同じことがこの国にもあてはまると思う。20世紀がアメリカの世紀だったとすれば、21世紀は中国の世紀になる予感がする。それが日本にとってどういう意味をもつかはまだわからない。

予定より時間がかかってしまった。神武門の裏でタクシーを拾い、北京首都機場へ急ぐ。到着後、まず空港税90元を払う。次に全日空のカウンターでチェックイン。往路と同じく窓際の席(17G)に換えてもらう。次がSARS申告書の記入、それからセキュリティチェック、そして出国審査。やっと出国できた頃には、へとへとだ。荷物が重いので、中国産品店で、自宅と職場への土産(ジャスミン茶と菓子)を買って、買物終了とした。娘たちに何も買っていないが、どうせ君たちが喜びそうなものはないのだよ(パンダのぬいぐるみも微妙に可愛くない)。許せ。

14:50の定刻通り、NH906便はゲートを離れた。機材は往路と同じく767-381。離陸後、眼下には寒々とした農村風景が広がっている。旋回した後、逆光の中はるか遠くに北京の街並みが見えた。だんだん雲が出てきて、渤海の海岸線に到達したあとは、何も見えなくなってしまった。食後うつらうつらしていたら、突然どすんと着陸して目が覚めた。早いものだ。予定通り19時の到着。

19:46発の成田エクスプレス42号に乗る。車中、出張者で集まって酒盛りになった。新宿で小田急線に乗り換え、家に辿り着いたのは22時頃だった。父親(正確にはお土産)の帰りを待つ娘たちがまだ起きていた。土産がないのは残念そうだったが、トイレの話を寝物語にしてやったら、喜んであっさり寝た。

やれやれ、明日から仕事だ。