中華的不思議国探訪記(其壱)

今日から北京へ出張に行く。仕事のことは書かない原則だが、初めての中国訪問なので、わくわくどきどきの探訪記として記録したい。

5:45起床。朝食の菓子パンを齧りながらテレビを見ていたら、「世界の天気予報」で今日の北京の空模様は雪、最低気温は氷点下13℃だという。慌ててセーターを重ね着していくことにした。これまで「日本にいる人間が外国の週間天気予報を知っても別にうれしくなかろう。無意味な番組であるなあ。」と思っていたが、猛省せねばなるまい。

新宿7:07発の成田エクスプレス5号に乗車する。同行のS氏が隣席だ。空港第2ビルのホームでH氏とも落ち合った。全日空のカウンターでチェックイン。預け入れ荷物のない旅客用のエクスプレス・カウンターがあることを初めて知った。NH905便は、半分くらい空いているとのことなので、隣が空いている窓際(34A)に座席変更してもらう。すぐに出国し、コンコースのベンチで出発前最後のメール交信を試みる。P-inで問題なく会社と通信できたので、自宅にPHS(私は稀少な611Sユーザである)で妻に「行ってきますコール」をする。

E70ゲートからバスで第1ターミナル前に駐機しているNH905便へ移動。機材はB767-381だ。定刻に動き出す。暫定平行滑走路までゴトゴトとタキシングしていく。滑走路に対して直角に止まる。なかなか離陸態勢に入らないなあと思いながら、エンジンの後方気流が作る渦巻きの影をぼんやり眺めていると、いきなり目の前にルフトハンザのA340がうわっと舞い降りてきた。その後、当機が滑走路に進入していく。この飛行場は、相変わらず同じ滑走路で離着陸を交互にやっているらしい。豪気なことである。

やっと滑走が始まる。B767は機体が軽いので(機内誌で調べたらB747の半分以下だ)、あっという間に舞い上がる。霞ヶ浦の手前で右旋回。筑波山が正面に見える。利根川が伸びていき、きらきらと輝く太平洋の中で犬吠埼となっている。蘇我の製鉄所の上で東京湾に出る。無数の船舶が白い航跡を引きつつミズスマシのように行き交っている。東京湾アクアラインの川崎人工島と橋梁部が見える。羽田空港の真上で東京上空に入った。多摩川左岸に沿って飛行していく。自宅のあたりが同定できる。数千メートル下で今、妻がレポートと格闘し、娘たちが小学校の教室で授業を受けていると思ったら、ちょっと感動した。

奥多摩湖の向こうに富士山が見えてきた。やはり日本一の山だ。弓なりに光っているのは芦ノ湖か。甲府盆地が左に過ぎ、南アルプスの峰々が見えてくる。雪を頂き、神々しい眺めである。松本市街を過ぎると、白い巨大な山塊が現れてきた。御嶽山だ。頂上に噴火口跡が5〜6個認められる。日本海が近くなるにつれ、地表が雲で覆われてきた。九頭竜湖と思しき水面を最後に、眼下は一面の雲海になってしまった。

給仕が始まる。食事の選択はチキンと穴子だが、私の席にワゴンが来る頃には、穴子は品切れだった。ぶーぶー。鳥インフルエンザ事件の直後だから、好んでチキンを選ぶ奴はいないだろう。ま、これがエコノミーというものだ。文句は言うまい。味は十分許せた。

食事が終わって、1時間ほど寝たら、もう着陸態勢だ。空港が近づくにつれ、すこしずつ雲が晴れ、下界が見えてきた。初めて見る中国本土だ。一面薄茶色で緑が全然ない。大地を適当に四角く区切ってみました、という感じの農地が広がっている。高度が下がると、きれいに耕耘されていることがわかった。無事、北京首都機場に着陸。

SARS検疫では、今年はまだ流行していないせいか、書類を手渡すだけだった。続いて入国審査。アメリカの入国審査のようにあれこれ尋ねてこないので助かる。どうせ中国語が話せないと思っているのか、どうせ人間ではないと思っているのか。入国審査の背景には万里の長城の壁画がある。「お前ら倭人は、ようやく中華帝国への入国を許可されたのである。」とばかり、中国四千年の歴史を威に借る心理作戦と見た。入国審査の横に「工作人員通道」という表示があり、諜報部員専用通路でもあるのかと思ったら、英語は”Staff Only”だった。言うことがいちいち大仰だ。

税関を出たところに、現地法人のLさんが出迎えてくれていた。可愛くて日本語も上手だ。外に出ると、薄日が差し、それほど寒くない。0℃くらいだろう。話が違うではないか、「世界の天気予報」。出張者5名が揃い、現地法人が差し向けてくれたバンに乗り込む。写真で見たことのある瓦葺の料金ゲートを抜け、首都機場高速に乗る。沿道の木は冬枯れていた。ところどころ鳥の巣がかかっていて、近くの枝にはオナガのような大型の鳥が佇んでいた。

四環路に乗り換え、西進。中層ビルが立ち並ぶ。早くもオリンピックの準備が始まっているらしく、巨大な体育館が建っている。西の空には太陽が淡く浮かび、異惑星を走っているような錯覚を覚える。そこまでいかずとも、ヨーロッパまでつながる大陸を走っていると思うと、感慨深い。

16時前に宿泊先の燕山大酒店に到着。チェックインの際、パスポートの提示を求められる。民間のホテルに投宿しようと思っているのだが、違うのか。この愛想はまるでないが美人のホテル従業員は、第ニ次入国審査官なのか。この国は、どうも官民の境界が曖昧な気がする(制服を着用している人は、職種を問わず軍人に見える)。後で部屋に備え付けの北京市公安局発行「北京旅行游覧住宿安全指南」を拝読すると、「世界各国の法律と同様に、宿泊の登録をしてもらう。外国人はパスポートを示せ。」とある。「登録」の意味が世界各国の法律と違うようだ。ちなみに、この「指南」、ホテル宿泊の案内というよりは、前線野営地の規則のような代物だった。日本語訳には、「女郎買い」「防衛」「放射性物質」「爆発性のある化学物質」「刑事責任」等々、凄い単語が並ぶ。

1316号室をあてがわれる。カードキーを恐る恐るドアに差し込むと、あっさり開錠した。絶対1回では開かないアメリカのホテルキーより優秀である。室内は洋風だ。ちょっと変わっているのは、壁のスロットにカードキーを差し込まないと、部屋の照明が点かない。ベッドルームと浴室のスイッチが並んでいるのだが、オン・オフの向きが逆なのは深い意味があるのか。迷うではないか。トイレがちゃんと水洗し、蛇口からは湯が出ることを確認して安堵する。尾篭な余談で恐縮だが、現地事情に詳しい人に聞いた話でショックを受けたのは、水洗トイレにトイレットペーパは流せず、便器脇のごみ箱に捨てなければならない、ということだった。確かにトイレットペーパの紙質は硬くて水溶性に乏しそうだ。一応四ツ星の当ホテルでもそうしないといけないのだろうか。そう思うと、目の前のごみ箱がただなならぬ存在に見えてきた。

ロビーに集合して、バンで現地法人へ行く。途中、「麦当労」という看板の店を見かけたが、黄色いMのマークがなければ、マクドナルドとは気づかなかったろう。路上は、割り込みや突然の車線変更に対するクラクションの応酬でたいそう賑やかだ。赤いタクシーが無数に走っているが、運転席と助手席を柵で仕切っている。鉄格子の中にいるのは運転手なのか、客なのか。バイク便が走っていると思ったら、白バイだった。交差点のど真ん中で往来の迷惑顧みず違反車両を停止させていた。万事こんな調子で、興味が尽きない。

現地法人は、「中国のシリコンバレー」と呼ばれる中関村地区にある。近代的なビルだが、エレベータホールの天井にも赤い雪洞が下がっているのはご愛嬌だ。日本で言えば正月の注連飾りのようなものらしく、街中で無数に見かけた。オフィスの玄関には、「福」を天地逆にした字が掲げてある。第二次世界大戦中、ティーガー戦車にも描かれた「倒福」だ。Lさんに尋ねてみると「福がつく」という意味なのだそうだ。旧正月が近いので、縁起物として掲げているのだろう。

昨日北京入りしている他の出張者と合流し、市内見学に出かける。ネットカフェを2軒回る。1軒目は、英語の表記がなければ風俗店にしか見えない店構えだ。80席ほどの店内は、大学のコンピュータ室のような雰囲気だった。料金は1時間3元。2軒目は、もう少し洗練された雰囲気で、1時間4元。いずれの店も、多くの客が熱心にシューティングゲームに興じていた。その後、ソフトウェアショップに行く。表通りに面したちゃんとした店だが、棚に並んでいる商品の大半は海賊版と見受けた。嘴が赤くて不気味なドナルドダックや、リンゴに呪いをかけている魔女にしか見えない白雪姫の映像ソフトをディズニーが放置しているのが不思議だ。スタジオ・ジブリ作品も勝手に中文化されており、「猫的報恩」はまあわかるとして、「龍猫」が「となりのトトロ」と知ったら、宮崎駿氏は卒倒するだろう。

夕食は、「鴨王」という北京ダックの専門店に行く。鴨の足の皮、レバー、北京ダックと鴨尽くしだ。北京ダックは本場物だけあって、脂が乗っておいしかった。ちょっと体調がすぐれず、食欲がないのが残念だ。詔興酒のほか、白酒(パイチュウ)というコーリャンの焼酎を飲む。46度ときついが、泡盛のような香りがあって飲み応えがある。

食事中に自然の呼び声があり、上述の水洗トイレの掟に従わざるを得なかったことを告白しておこう。便器には金隠しがなく、足の踏み場が一段高くなっている。なぜかトイレットペーパが左後ろにぶら下げてあり、ひじょうに取りづらい。中国人はこの方が取りやすいのだろうか。使った紙をゴミ箱に捨てるのは物凄く違和感があった。間違って下に落としたやつを拾い上げて捨てたりして。うわあ、えんがちょ!

21時頃、ホテルに戻る。日本へ電話をかけようとしたが、駄目だった。国際回線がつながっていないようだ。メールも読めないので、入浴後、今日の日記を書く。つけっ放しにしていたTVを何気なく見たら、パウエル国務長官が登場していた。中国名は「鮑威爾美国国務卿」だった。そう言えば、ソフトショップで「曼托瓦尼楽隊」というCDがあり、女子十二楽坊ばりの尼さんのバンドかと思ったらマントヴァーニ・オーケストラだった。中国人にかかったら、いかなる改名も甘受せざるを得ないようだ。恐るべし。