大晦日。

晴れ後曇り。

忙しかったこの1年を象徴するように、ばたばたした1日だった。いろいろやり残したような消化不良感が残る。

夕方には日野の実家に帰るつもりだったのだが、結局出発したのは18時半頃だった。晩飯だけ食べに帰るようなものだ。実家では、佐久の風習で、大晦日に「お年取り」と称してご馳走を食す。

見るともなく、「紅白歌合戦」を見る。この際告白してしまうが、もう、紅白で流行り歌をアップデートしようという意欲も失せた。ちょうど今、SMAPの「世界に一つだけの花」をやっているが、まともに聴くのはこれが何と2回目である。ほかの歌は推して知るべしだろう。

ゆく年くる年」を見ながら皆で年越し蕎麦を食べた。娘たちは、初めて不眠で年越し蕎麦まで辿り着き、満足そうだった。始業式までに時差ボケが直るかどうか不安である。

まあ、今年も何とか無事に暮れた。今年は、次女が小学校に入学し、七五三も終わって、家から幼児がいなくなった。なぜか、座敷童が出て行ってしまったような虚脱感を覚えたものだ。まあ、それは父親の身勝手な感傷というもので、育児に没頭してきた妻は、解放感の方が大きいだろう。そう言えば、育児卒業と同時に、リブートとばかり、さっさと大学の通信過程に入学してしまった。両脛を齧られて、歩くのがどうも大変だと思って後ろを振り返ったら、背中におぶさって背骨を齧っているやつがいたというわけだ。

年も改まり、高幡不動の除夜の鐘が聞こえてきた。今年はどんな年になるか。