「ドン・キホーテ」のチケット予約

先日、自分と長女のためだけに文楽「絵本太功記」のチケットを入手し、少々気が引けていたので、バレエ好きの妻と次女のために、初台の「ドン・キホーテ」のチケットを予約することにする。

10:15頃、インターネット予約を見たら、何と完売(会員先行販売開始後わずか15分である)。あわてて、ボックスオフィスに電話をかけるが、当然、話中。15分後くらいにようやくつながり、次女が所望するスヴェトラーナ・ザハロワの出演日の残席状況を尋ねると、S・A席はすでに完売であった。やむなく、できるだけ舞台に近いB席(2階右翼席)を確保する*1。バレエ公演がこんなに人気があるとは知らなかった。それとも、ボリショイのプリンシパル、ザハロワの登場だからだろうか。

*1:新国立劇場では、会員割引と学生割引が併用できた。同じ独立行政法人傘下の劇場なのに、あぜくら会の方は何故併用できなかったのだろう。法の下の平等に反する気がする。

「大回顧展モネ」

昨日から国立新美術館で始まった「大回顧展モネ」を家族で観に出かける。六本木界隈は東京ミッドタウンの開業直後の喧騒が予想され、嫌だなと思っていたのだが、千代田線・乃木坂駅が美術館に直結していることを知り、迷わず、小田急線の多摩急行で出かける。我が家から乗り換え1回で、登戸からは座って行くことができた。乃木坂駅では、6番出口がそのまま美術館の地下入口になっている。たいへん便利だ。

13時頃到着すると、入口には「待ち時間10分」の行列ができていたが、ほどなく入場できた。流入調整をしているおかげで、会場内はそれほど混雑していない。モネの絵は、鑑賞する距離を選ぶので(私は密かに「モネの最適焦点距離」と呼んでいる)、これはありがたい。

「大回顧展」という大袈裟な呼称に恥じない展覧会だった。オルセー美術館との共同企画とのことで、全97点中、オルセーから17点が出展されている。さらに、アメリカではシカゴ美術館と並ぶモネのコレクションを誇るボストン美術館から佳品ばかり6点が貸し出されている。国立西洋美術館の松方コレクションの名品3点を始め、半数近い44点が日本の団体のコレクションであり、日本人として誇りを覚える*1。無論、超名作ばかりが揃っているわけではないが、モネ好きであれば、至福の時間が過ごせることを保証する。

チラシやチケットに使われている「日傘の女性」(1886)*2、「アルジャントュイユのセーヌ川」(1873)、「かささぎ」(1869)、「庭のカミーユ・モネと子供」(1875)、「セーヌ川の朝、霧」(1897)、「積みわら、雪の朝」(1891)、「国会議事堂、日没」(1904)、「テムズ川のチャリング・クロス橋」(1903)あたりが本展のマスターピースだ。特に、「セーヌ川の朝、霧」は個人蔵なので、もう二度と観る機会はないかもしれない。ドイツ西部の小都市クレーフェルトのカイゼル・ヴィルヘルム美術館所蔵の「国会議事堂、日没」も、再会は難しいだろう。

面白いと思ったのは、最後の「睡蓮/庭」のコーナーの出展作品の大部分が日本の美術館の収蔵品だということだ。日本人には「モネは睡蓮。」という固定観念があって、せっせと「睡蓮」ばかり蒐集しているのか、それとも、単に、外国の「睡蓮」の名作を借り出せなかったのか*3

モネの作品と並列して、モネに影響を受けた近現代の作品26点も展示されている。その大部分は、よくある「私でも描けそう。」という抽象絵画だが、スーラ「グランカンの干潮」(1885)、ドラン「ロンドン、ウェストミンスター橋とテムズ川」(1906)、ボナール「地中海風景、ル・カネ」(1930)を展示したのは秀逸である。モネから点描、フォーヴ、ナビが派生していったことが理解できるからだ。特に、造型が崩れたモネの最晩年の絵と併せ観ることで、フォーヴとの距離が短いことを実感できたのは収穫だった。

図録を見ていて気づいたのだが、現時点では、全97点中3点が未出展である。図録で見る限り、未出展の「ジヴェルニーの草原」(1890)、「セーヌ川の朝」(1897)、「ジヴェルニーの積みわら、夕日」(1889)は、いずれも観る価値がありそうだ。これらが揃う6月にもう一度行かねばなるまい。なお、現在展示されている「サン=シメオン農場の道」(1864)と「モンソー公園」(1876)は6月3日までの展示のようなので、97点を一度で全部観たければ、5月末から6月3日の僅かな期間を狙って行くしかないことになる。

満足して会場を後にする。巨大空間に浮かぶ2階のカフェで昼食にする。値段ばかり高くて、さしておいしくもないベーグル・サンドだったが、日曜の昼下がりに美術館でビールを飲むのは悪くないひとときだった。

国立新美術館リーフレットの平面図を見て呆れたことには、館内には展示室しかない。企画展専用でコレクションの常設展示がないということは、すなわち東京国際展示場幕張メッセのようなイベント会場ということだ。これだけの器を構えておきながら、金さえあれば百貨店でもやれるような企画展しかやらない、というのは税金の使い道としていかがなものか。日本美術品の収集・研究・展示を行って初めて国立美術館を名乗る資格があるというものだろう。

*1:フランス人以外でモネ好きなのは、日本人とアメリカ人だろう。

*2:日傘の女性を主題としたモネの作品は3点ある。私は、その中では、ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵のものが一番好きだ。妻カミーユと息子ジャンを描いており、初めて観たときの感動は忘れられない。

*3:オランジェリーの大壁画は無理としても、オルセー、ボストン、シカゴには、本展出展作よりも優れた作品がある。

旧帝国陸軍第一師団歩兵第三聯隊新兵舎

国立新美術館は、東京大学生産技術研究所の移転跡地に建設されたものだが、この生産研の建物は、戦前は旧帝国陸軍第一師団歩兵第三聯隊の新兵舎だったものだ。美術館の1階ホールに新兵舎の1/100の模型が展示され、説明パネルもあった。歩兵第三聯隊は、二・二六事件で、安藤輝三大尉に率いられて鈴木貫太郎侍従長襲撃に参加し、叛乱軍の汚名を被った部隊だ。美術館の前庭に建つ美術館別館の裏側に、新兵舎の正面ファサードだけが「薄皮一枚」という風情で保存されていた。

国立新美術館の裏門から出て、青山霊園の中を通って、表参道まで歩く。霊園のソメイヨシノは、花びらを静かに散らし、葉桜になり始めていた。

帰宅後、妻と統一地方選挙の投票に出かける。