神々の黄昏

期待に違わない公演だった。ブリュンヒルデのブロック、ジークフリートのトレレーヴェン以下、歌唱陣は大奮闘だった。特に、6時間に及ぶ上演中、ブロックとトレレーヴェンの最後まで衰えない集中力と声量には感心した。グートルーネの蔵野蘭子、ヴァルトラウテの藤村実穂子ら日本人歌手も対等に渡り合った。

準・メルクルの指揮、N響管弦楽ともに、明確で清澄なヴァーグナーを聴かせ、私の好みだ。

ウォーナーの演出は、大道具・小道具の奇抜な仕掛けやポップな衣装に目を奪われがちだが、登場人物の性格描写は的確だ。思い込みの激しいブリュンヒルデ、おバカなジークフリート、暗い復讐心に燃えるハーゲン、上品でひ弱なグンター、スポイルされたグートルーネ等々、むしろ台本に忠実と言える。そもそも、「指環」は「魔笛」と同様、真面目にやればやるほど、辻褄が合わなくなるのではないか。とても、神々や英雄の物語とは思えない俗事の連続である。台本通りに解釈したらこうなりました、というのがウォーナー演出の真骨頂のような気がしてくるほど、説得力があった。

ただし、幕切れの情景はちょっと白けた。「トーキョー・リング」というキャッチフレーズ通り、現代の東京に回帰させようとしたのかもしれないが、飛躍がありすぎる。ここはひとつ、「ラインの黄金」の冒頭、ヴォータンが映写機を回す場面に戻ってもらいたかった。

だいたい、この壮大な負の輪廻の元凶はヴォータンである。彼がヴァルハラ城の建設請負代金を踏み倒そうとし、アルベリヒから指環を巻き上げたがゆえに、ファゾルト・ファフナー兄弟、ジークムント・ジークリンデ兄妹、フンディンク、ミーメ、ジークフリートブリュンヒルデ夫妻、グンター、ハーゲンらの死屍累々となったわけだ。とりわけ、自分の妻と駆け落ちしようとしたジークムントを倒したとたん何故か殺されるフンディンク、手塩にかけて育てたジークフリートの手にかかるミーメ、そしてハーゲンの奸計にうかうかと乗ったばかりに殆ど何もしないまま破滅するグンターが哀れだ。これらの悲劇の張本人が「神々の黄昏」には姿も見せないというのはいかがなものか(「神々」というわりには、登場する神様はヴァルトラウテただ一人だ)。せめて、演出上は、最後に登場して物語にケジメをつけるのがスジというものだろう。

ともあれ、盛事は終わった。4年にわたって続いた「トーキョー・リング」だが、今度は、通しで観てみたい。4晩連続は無理としても、数ヶ月おきに1年間でやってもらいたいものだ。満足感を抱きつつ、娘たちを預けてある日野の実家に戻る。23時過ぎに到着し、娘たちをピックアップして車で帰宅する。家に辿り着いたのは0時を回る頃だった。へとへとである。もう少し、優雅にオペラを楽しめないものか。