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曇り後雨
外出の途中、護国寺の近くを通ったので、久しぶりに立ち寄ってみる。本堂(観音堂)にお参りする。1697年(元禄10年)の建立の重要文化財である。元禄時代から、度重なる大火、震災、戦災を奇跡的に免れて300年以上もここに建っていたことになる。葉がすっかり茶色になったモミジの梢で野鳥がヒヨヒヨと鳴いていた。ジョウビタキか。
予報通り、夕方から雨になった。気温はそれほど低くないが、お山では雪になっていることだろう。
amazonに注文していた本といっしょに「天文年鑑2007」が届いた。1990年から毎年欠かさず買っている。これを書店で見かけるようになると、「年の瀬がまたやって来たな。」と思う。
今回、おや、と思ったのは、1994年から2006年の間、巻頭の「展望」に記載されていた日本紀元(神武天皇即位紀元)の表記がなくなった。日本の閏年は、神武天皇即位紀元をもとに決定されるので(明治31年勅令第90号「閏年ニ関スル件」)、記載した方がよいのだが。ちなみに、2007年は、日本紀元2667年である。
西暦ルールは、
と「例外の例外」まであってわかりにくい。
それに対し、日本紀元ルールは、
- Y/4が整数の年は閏年
- ただし、(Y-660)/100が整数で、かつ(Y-660)/100/4が整数でない年は平年
と「例外」が1つだけなので、すっきりしている(その代わり、第2原則が覚えにくいが)。たとえば、日本紀元2660年(西暦2000年)は第1原則だけで閏年となり、日本紀元2760年(西暦2100年)は、
(2760-660)/100=21
21/4は整数ではないので、第2原則により平年となる。
とは言え、大抵の場合は、西暦年が4で割り切れるかどうか、という「常識ルール」だけで用が足りる。次に平年か閏年かを注意しなければならないのは、93年余り先のことなので、少なくとも私には関係ない。直近で注意しなければならなかったのは、2000年だが、大方の人は西暦第1原則だけで閏年と判断していたに違いない。その前は、1900年の平年だったので、要は、人の一生に1回あるかどうか、という頻度の話である。