■
曇り
遅まきながら、梅田望夫「ウェブ進化論」(ちくま新書)を読了した。2005年時点で最新のインターネット情勢を俯瞰した労作だ。読者の本書に対する反応は、以下のいずれかに分類できるだろう。
(i)内容は理解できるし、そこで語られている理念にも共感できる。
(ii)内容は理解できるが、理念には共感できないか、反感を覚える。
(iii)内容が理解できない(ので、理念にも共感しようがない)。
本書の困ったところは、(i)の読者にとっては、常識の域を出ないので面白くなく、(iii)の読者(おそらく過半を占めるものと思われる)にとっては、何が書かれているのかさっぱりわからないので、これまた面白くない、ということだ。わずかに(ii)の読者にとっては、自らのネットリタラシを問われるという、感情的なゆらぎを経験することになるので、知的刺激にはなるだろう。
筆者が指摘する通り、本書で語られている潮流は、今後10年間、地球的規模で拡大していくのは間違いない。しかし、「オープンソース」も「群集の叡智」も、きわめてアメリカ的な概念であることを銘記しておくべきだろう。そもそも、インターネットの基盤であるTCP/IP通信自体、安全保障の観点から、多少パケットが欠落しようとも通信の確立を優先する、というアメリカ的合理主義に基づいて設計されたものだ。このような割り切りを前提とする通信環境下でネット自由主義が発達し、「オープンソース」さらには「クリエイティヴ・コモンズ」の運動に結実していく。その根底には、アメリカ人固有の権威主義への嫌悪と集合知に対する素朴な信頼がある。資本市場で「グローバルスタンダード」と呼ばれてきたものが、実は「アメリカンスタンダード」であるのと同様、インターネットの世界もアメリカ的な価値観に深く根ざしている。アメリカ的価値観は、その徹底した合理性ゆえに一定の普遍性を獲得したが、人類共通の真理ではないので、いずれ、調整を受けていく部分もあるに違いない。